は秘密の抽斗《ひきだし》をあけて、その中から魔術の書物を取り出し、ランプをつけて、夜半から朝の三時まで三日もつづいて読み通して、それをノートに書きつけた。それから彼は書物をしまい込んで、次の晩には魔法に必要な材料を買うために町へ出かけたが、彼の求めているものを得るには容易でなかった。なぜといえば、この種の惚れ薬を作ったり、神おろしめいたことをするについて、必要なる合い薬が書物にも完全にしるされていない。またその分量も、自分の痛切なる要求を満たすにとどめておくという限度がなかなかむずかしいからであった。それでも遂に彼は自分の望むすべてのものを求めることができた。彼女が鏡のうちに出て来なくなってから七日目の夕方に、彼は無法な、暴君的な力をかりるべき準備を整えたのである。
彼はまず部屋の中央にあるものを取りのけてしまった。それから身をまげて自分の立っている周囲に丸い赤い線を引いた。そうして、四隅に不思議な記号《しるし》をつけ、七と九に関する数字をつけて、その輪のどの部分にも少しの相違もないように、注意ぶかく検《しら》べてから起《た》ちあがった。
彼が起つと、教会の鐘は七時を打った。それと同時に、彼女もあたかも初めて現われてきたときのように、気の進まないような緩《ゆる》い歩調で、出てきたのである。コスモはふるえた。そうして、鏡から離れて振り返って見ると、彼女は疲れたような蒼ざめた顔をして、何か病気か、心配でもありそうな風情《ふぜい》である。コスモは倒れそうになって、とても前へは進めなかった。それでもじっと彼女の顔と姿を見つめていると、すべての喜びや悲しみを離れて、ただ胸がいっぱいになって、彼女と語りたい、自分の言うことを彼女が聞いてくれるか、ひと言でいいから返事を聴きたい。彼はもうたまらなくなって、かねて準備した仕事にあわてて取りかかったのである。
線を引いた場所から注意ぶかく歩いて、線の中央に小さい火鉢を置き、そのなかの炭に火をつけて、それが燃えている間、彼は窓をあけて火鉢のそばに腰をおろしていたのであった。それは蒸し暑い夕方で、絶えず雷鳴がとどろいて、大空が重苦しいように下界の空気をおしつけている日であった。なんとなく紫色をした空気がただよっていて、町の煙霧《えんむ》もそれを吹き消すことが出来ないような、遠い郊外の匂いが窓から吹いて来た。間もなく炭がさかんにおこっ
前へ
次へ
全22ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング