があったので、その案はまずおやめになった。
 自分のからだをなおざりにし始めてから、ラザルスは殆んど餓死せんばかりになっていたが、近所の者は漠然たる一種の恐怖のために彼に食物を運んでやらなかったので、子供たちが代って彼のところへ食物を運んでやっていた。子供らはラザルスを怖がりもしなければ、また往々にして憐れな人たちに仕向けるような悪いたずらをして揶揄《からか》いもしなかった。かれらはまったくラザルスには無関心であり、彼もまたかれらに冷淡であったので、別にかれらの黒い巻髪を撫でてやろうともしなければ、無邪気な輝かしいかれらの眼を覗こうともしなかった。時と荒廃とに任せていた彼の住居は崩れかけて来たので、飢えたる山羊《やぎ》どもは彷徨《さまよ》い出て、近所の牧場へ行ってしまった。そうして、音楽師が来たあの楽しい日以来、彼は新しい物も古い物も見境いなく着つづけていたので、花聟の衣裳は磨り切れて艶々しい色も褪《あ》せ、荒野の悪い野良犬や尖った茨《いばら》にその柔らかな布地《ぬのじ》は引き裂かれてしまった。
 昼のあいだ、太陽が情け容赦もなくすべての生物を焼き殺すので、蠍《さそり》が石の下にもぐり
前へ 次へ
全42ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング