になる前に、まずお前に逢い、お前と話してみたいのだ。」
彼は内心恐れていないでもなかったが、いかにも皇帝らしい口ぶりでこう言い足した。それからラザルスに近寄って、熱心に彼の顔や奇妙な礼服などを調べてみた。彼は鋭い眼力を持っていたにも拘らず、ラザルスの変装に騙されてしまった。
「ほう、お前は別に物凄いような顔をしていないではないか。好いお爺さんだ。もしも恐怖というものがこんなに愉快な、むしろ尊敬すべき風采を具えているならば、われわれに取っては却って悪い事だとも言える。さて、話そうではないか。」
アウガスタスは座に着くと、言葉よりも眼をもってラザルスにむかいながら問答を始めた。
「なぜお前はここへはいって来た時に、わしに挨拶をしなかったのだ。」
「わたしはその必要がないと思いましたからです。」と、ラザルスは平気で答えた。
「お前はクリスト教徒か。」
「いいえ。」
アウガスタスはさこそと言ったようにうなずいた。
「よし、よし。わしもクリスト教徒は嫌いだ。かれらは人生の樹に実がまだいっぱいに生《な》らないうちにその樹をゆすって、四方八方に撒き散らしている。ところで、お前はどういう人間であるのだ。」
ラザルスは眼に見えるほどの努力をして、ようように答えた。
「わたしは死んだのです。」
「それはわしも聞き及んでいる。しかし現在のお前は如何なる人物であるのか。」
ラザルスは黙っていたが、遂にうるさそうな冷淡な調子で、「私は死んだのです。」と、繰り返し言った。
皇帝は最初から思っていたことを言葉にあらわして、はっきりと力強く言った。
「まあ聞け、外国のお客さん。わしの領土は現世の領土であり、わしの人民は生きた人間ばかりで死んだ人間などは一人もいない。したがって、お前はわしの領土では余計な者だ。わしはお前が如何なる者であり、又このローマをいかに考えているかを知らない。しかしお前が嘘を言っているのならば、わしはお前のその嘘を憎む。又、もし本当のことを語っているのならば、わしはお前のその真実をも憎む。わしの胸には生《せい》の鼓動を感じ、わしの腕には力を感じ、わしの誇りとする思想は鷲のごとくに空間を看破する。わしの領土のどんな遠い所でも、わしの作った法律の庇護のもとに、人民は生き、働き、そうして享楽している。お前には死と戦っているかれらの叫び声が聞こえないのか。」
アウガスタ
前へ
次へ
全21ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング