彩筆をもって描くことにした。
ラザルスは例の無関心で、大勢のなすがままに任せていたので、たちまちにして如何にも好く似合った頑丈な、孫の大勢ありそうな好々爺《こうこうや》に変わってしまった。ついこの間まで糸を紡《つむ》ぎながら浮かべていた微笑が、今もその口のほとりに残っているばかりか、その眼のどこかには年寄り独特の穏かさが隠れているように見えた。しかもかれらは婚礼の衣裳までも着換えさせようとはしなかった。又、この世の人間と未知のあの世とを見詰めている、二つの陰鬱な物凄い、鏡のような彼の両眼までも取り換えることは出来なかったのである。
六
ラザルスは宮殿の崇高なるにも、心を動かされなかった。彼に取っては荒野に近い崩れ家も、善美を尽くした石造の宮殿もまったく同様であったので、相変わらず無関心に進み入った。彼の足の下では堅い大理石の床も荒野の砂にひとしく、彼の眼には華美な宮廷服を身にまとった傲慢な人々も、すべて空虚な空気に過ぎなかった。ラザルスがそばを通ると、誰もその顔を正視する者もなかったが、その重い足音がまったく聞こえなくなると、かれらは宮殿の奥深くへだんだんに消えてゆくやや前かがみの老偉丈夫のうしろ姿を穿索するように見送った。死そのもののような彼が過ぎ去ってしまえば、もうこの以上に恐ろしいものはなかった。今までは死せる者のみが死を知り、生ける者のみが人生を知っていて、両者のあいだには何の連絡もないものと考えられていたのであるが、ここに生きながらに死を知っている、謎のような恐るべき人物が現われて来たということは、人々に取って実に呪うべき新知識であった。
「彼はわれわれの神聖なるアウガスタス大帝の命を取るであろう。」と、かれらは心のうちで思った。そうして、奥殿深く進んでゆくラザルスのうしろ姿に呪いの声を浴びせかけた。
皇帝はあらかじめラザルスの人物を知っていたので、そのように謁見の準備を整えておいた。しかも皇帝は勇敢な人物で、自己の優越なる力を意識していたので、死から奇蹟的によみがえった男と生死を争う場合に、臣下の助勢などを求めるのをいさぎよしとしなかった。皇帝はラザルスと二人ぎりで会見した。
「お前の眼をわしの上に向けるな、ラザルス。」と、皇帝はまず命令した。「お前の顔はメドュサの顔のようで、お前に見詰められた者は誰でも石に化すると聞いていたので、わしは石
前へ
次へ
全21ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング