伴侶《つれ》に長いあいだ逢えないでいるということに、漠然とした不幸を感じた。五月十五日より今日に至るまでの、こうした私の変幻自在の心持ちを書くということは、ほとんど不可能であろう。
 人力車の出現は、わたしの心を恐怖と、盲目的畏敬と、漠然たる喜悦と、それから極度の絶望とで交るがわるに埋めた。私はシムラを去るに忍びなかった。しかも私はシムラにいれば、自分が結局殺されるということを百も承知していた。その上に、一日一日と少しずつ弱って死んでゆくのが私の運命であることも知っていた。ただ私は、出来るだけ静かに懺悔をしたいというのが、ただ一つの望みであった。
 それから私は人力車の幽霊を求めるとともに、キッティがわたしの後継者――もっと厳密にいえば、わたしの後継者ら――と喋《ちょう》喋|喃《なん》喃と語らっている復讐的の姿を、愉快な心持ちでひと目見たいと思って探し求めた。愉快な心持ちと言ったのは、わたしが彼女の生活から放《はな》れてしまっているからである。昼のあいだ私はウェッシントン夫人と一緒に喜んで歩きまわって、夜になると私は神にむかって、ウェッシントン夫人と同じような世界に帰らせてくれるように
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