則正しい仕事と営養物の効果があらわれて来た。それでもまだ昼間も――静かな真夜中には特にそうであったが――怖ろしい幻影に襲われることもあり、愉快な友達の一座にいて、酒を飲んだり、歌を唄ったりしている時ですらも、灼《や》けただれた匕首《あいくち》がわたしの心臓に突き透るように感じる時もあった。そういう場合には、わたしの理性の力などは何の役にも立たないので、よんどころなくその場を引き退がって、その昏睡状態から醒めるまでは再び友達の前へ出られないようなこともあった。
 ある時、こういう発作《ほっさ》が非常に猛烈におこって、かの幻影に対する不可抗力的の憧憬がわたしを狂わせるようになったので、私は往来へ飛び出して不思議な家の方へ走ってゆくと、遠方から見た時には、固くとじられた鎧戸の隙間から光りが洩れているらしく思われたが、さて近寄って見ると、そこらはすべて真っ暗であった。わたしはいよいよ取りのぼせて入り口のドアに駈けよると、そのドアはわたしの押さないうちにうしろへ倒れた。重い息苦しい空気のただよっている玄関の、うす暗い灯のなかに突っ立って、私は異常の怖ろしさと苛立《いらだ》たしさに胸をとどろかせて
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