、われわれ二人ぎりであるのを見て、やっと安心したように、こっちへ来て自分のそばへ坐れと、わたしを手招きした。
「君は見たね」と、この人の性質とはまったく似合わないような、低い畏《おそ》れたような調子で、彼は訊いた。
「いいえ、何も見ませんでした」
彼の頭は、ふたたびクッションの上に沈んだ。
「いや、いや、望遠鏡を持ってはいなかったろうか」と、彼はつぶやいた。「そんなはずがない。わしに彼女をみせたのは望遠鏡だ。それから愛の眼……あの愛の眼を見せたのだ。ねえ、ドクトル、給仕《スチュワード》を内部へ入れないでくれたまえ。あいつはわしが気が狂ったと思うだろうから。その戸に鍵《かぎ》をかけてくれたまえ。ねえ、君!」
私は起《た》って、彼の言う通りにした。
彼は瞑想に呑み込まれたかのように、しばらくの間じっと横になっていたが、やがてまた肘を突いて起き上がって、ブランディをもっとくれと言った。
「君は、思ってはいないのだね、僕が気が狂っているとは……」
私がブランディの壜《びん》を裏戸棚にしまっていると、彼がこう訊いた。
「さあ、男同士だ。きっぱりと言ってくれ。君はわしが気が狂っていると思う
前へ
次へ
全57ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング