かね」
「船長は何か心に屈託《くったく》があるのではありませんか。それが船長を興奮させたり、また非常に苦労させたりしているのでしょう」と、わたしは答えた。
「その通りだ、君」と、ブランディの効き目で眼を輝かしながら、船長は叫んだ。「全くたくさんの屈託があるのさ。……たくさんある。それでもわしはまだ経緯度を計ることは出来る、六分儀《ろくぶんぎ》も対数表も正確に扱うことが出来る。君は法廷でわしを気違いだと証明することはとうていできまいね」
 彼が椅子に倚《よ》りかかって、さも冷静らしく自分の正気なることを論じているのを聞いていると、わたしは妙な心持ちになって来た。
「おそらくそんな証明は出来ないでしょう」と、私は言った。「しかし私は、なるべく早く帰国なすって、しばらく静かな生活を送られたほうがよろしかろうと思います」
「え、国へ帰れ……」と、彼はその顔に嘲笑の色を浮かべて言った。「国へ帰るというのはわしのためで、静かな生活を送るというのは君自身のためではないかね、君。フロラ……可愛いフロラと一緒に暮らすさね。ところで、君、悪夢は発狂の徴候かね」
「そんなこともあります」
「何かそのほかに徴
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