振りながらひとりごとを言った。
「こんなはずではないが……。あの青年は、おれの旧友の息子だから、おれは医術によって保護し得る限りは、いかなる危害をも彼に加えさせないつもりだ。それにまた、おれに言わせると、ラッパチーニがあの青年をおれの手から奪って、かの憎むべき実験の材料にするなどとは、あまりにひどい仕方だ。彼の娘も監視すべきだ。最も博学なるラッパチーニよ。おれはたぶんおまえを夢にも思わないようなところへ追いやってしまうであろう」
ジョヴァンニは廻り道をして、ついにいつの間にか自分の宿の入り口に来ていた。彼が入り口の閾《しきい》をまたいだときに、老婦人のリザベッタに出逢った。
彼女はわざと作り笑いをして、彼の注意をひこうと思ったが、彼の沸き立った感情はすぐに冷静になって、やがて茫然《ぼうぜん》と消えてしまったので、その目的は達せられなかった。彼は、微笑をたたえた皺だらけの顔の方へ真正面に眼を向けてはいたが、その顔を見ているようには思われなかった。そこで、老婦人は彼の外套《がいとう》をつかんだ。
「もし、あなた、あなた」と、彼女はささやいた。その顔にはまだ一面に微笑をたたえていたので、
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