はしばらく耳をかたむけていると、風と電線との音が実際怪しくきこえるのであった。彼も幾年のあいだ、ここに長い冬の夜を過ごして、ただひとりで寂しくそれを聴いていたのである。しかも彼は、自分の話はまだそれだけではないと言った。
わたしは中途で口をいれたのを謝して、更にそのあとを聴こうとすると、彼は私の腕に手をかけながら、またしずかに話し出した。
「その影があらわれてから六時間ののちに、この線路の上に怖ろしい事件が起こったのです。そうして十時間ののちには、死人と重症者がトンネルの中から運ばれて、ちょうどその影のあらわれた場所へ来たのです」
わたしは不気味な戦慄を感じたが、つとめてそれを押しこらえた。この出来事はさすがに※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》であるとはいえない。まったく驚くべき暗合《あんごう》で、彼のこころに強い印象を残したのも無理はない。しかも、かくのごとき驚くべき暗合がつづいて起こるというのは、必ずしも疑うべきことではなく、こういう場合も往々《おうおう》にあり得るということを勘定のうちに入れておかなければならない。もちろん、世間多数の常識論者は、とかく人生の上に生ずる暗合を信じないものではあるが――
彼の話は、まだそれだけではないというのである。私はその談話をさまたげたことを再び詫びた。
「これは一年前のことですが……」と、彼は私の腕に手をかけて、うつろな眼で自分の肩を見おろしながら言った。「それから六、七カ月を過ぎて、私はもう以前の驚きや怖ろしさを忘れた時分でした。ある朝……夜の明けかかるころに、わたしがドアの口に立って、赤い灯の方をなに心なく眺めると、またあの怪しい物が見えたのです」
ここまで話すと、彼は句を切って、私をじっと見つめた。
「それがなんとか呼びましたか」
「いえ、黙っていました」
「手を振りませんでしたか」
「振りません。燈火《あかり》の柱に倚《よ》りかかって、こんなふうに両手を顔に当てているのです」
わたしは重ねて彼の仕科《しぐさ》を見たが、それは私がかつて墓場で見た石像の姿をそのままであった。
「そこへ行って見ましたか」
「いえ、私は内へはいって、腰をおろして、自分の気を落ちつけようと思いました。それがために私はいくらか弱ってしまったからです。それから再び外へ出てみると、もう日光が映《さ》していて、幽霊は
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