か、誰を信じていいか。それが私にはまったく堪《た》えられないほどの苦労でありました。
翌あさ、セラピオン師はわたしを連れに来たのです。旅行用の貧しい手鞄などを乗せている二匹の騾馬《らば》が門前に待っていました。セラピオン師は一方の騾馬に乗り、わたしは型のごとくに他の騾馬に乗りました。
町の路《みち》みちを通るとき、わたしはもしやクラリモンドに逢いはしないかと、家いえの窓や露台に気をつけて見ました。朝が早かったので、街《まち》もまだほとんど起きてはいませんでした。わたしは自分の通りかかった邸宅という邸宅の窓の鎧戸《よろいど》やカーテンを見透すように眼をくばりました。
セラピオン師はわたしの態度を別に疑いもせず、ただ私がそれらの邸宅の建築を珍らしがっているのだと思って、わたしがなお十分に見ることが出来るように、わざと自分の馬の歩みをゆるやかにしてくれました。わたしたちはついに町の門を過ぎて、前方にある丘をのぼり始めました。その丘の頂上にのぼりつめた時、わたしはクラリモンドの住む町に最後の一瞥《いちべつ》を送るために見返りました。
町の上には、大きい雲の影がおおい拡がっておりました。その雲の青い色と赤い屋根との二つの異った色が一つの色に溶《と》け合って、新しく立ち昇る巷《ちまた》の煙りが白い泡のように光りながら、あちらこちらにただよっています。ただ眼に見えるものは一つの大きい建物で、周囲の建物を凌《しの》いで高くそびえながら、水蒸気に包まれて淡《あわ》く霞んでいましたが、その塔は高く清らかな日光を浴びて美しく輝いていました。それは三マイル以上も離れているのに、気のせいか、かなりに近く見えるのでした。殊《こと》にその建物は、塔といい、歩廊といい、窓の枠飾りといい、つばめの尾の形をした風見《かざみ》にいたるまで、すべていちじるしい特長を示していました。
「あの日に照りかがやいている建物は、なんでございます」
わたしはセラピオン師にたずねました。彼は手をかざして眼の上をおおいながら、わたしの指さす方を見て答えました。
「あれはコンティニ公が、娼婦のクラリモンドにあたえられた昔の宮殿です。あすこでは恐ろしいことが行なわれているのです」
その瞬間でした。それはわたしの幻想であったか、それとも事実であったか分かりませんが、かの建物の敷石の上に、白い人の影のようなものがすべ
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