とはないじゃないか」と、ナルモヴが言った。
「君はなぜ不可解だか、その理由を知るまい」
「むろん、知らないね」
「よし。では聴きたまえ。今から五十年ほど前に、僕の祖母はパリへ行ったことがあるのだ。ところが、祖母は非常に評判となって、パリの人間はあの『ムスコビートのヴィーナス』のような祖母の流し眼の光栄に浴しようというので、争って、そのあとをつけ廻したそうだ。祖母の話によると、なんでもリチェリューとかいう男が祖母を口説きにかかったが、祖母に手きびしく撥ねつけられたので、彼はそれを悲観して、ピストルで頭を撃ち抜いて自殺してしまったそうだ。
そのころの貴婦人間にはファロー(賭け骨牌)をして遊ぶのが流行《はや》っていた。ところが、宮廷に骨牌会があった時、祖母はオルレアン公のためにさんざん負かされて、莫大の金を取られてしまった。そこで、祖母は家へ帰ると、顔の美人粧《パッチ》と袴の箍骨《フーブス》を取りながら、祖父にその金額をうちあけて、オルレアン公に支払うように命じたのだというのだが、死んだ僕の祖父というのは、僕も知っていたが、まるで祖母の家令のようで、火のごとくに彼女を恐れていたのだ。その祖
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