読みはじめると、その肩越しに蒼《あお》ざめた顔がみえた。それは水中に長く沈んでいた男の顔で、膨《ふく》れて、白ちゃけて、その濡れしおれた髪には海藻《かいそう》がからみついていた。そのほかにも、老婆の足もとには死骸のような物が一つ横たわっていて、その死骸のそばには、またひとりの子供がうずくまっていた。子供はみじめな穢《きたな》い姿で、その頬には饑餓《きが》の色がただよい、その眼には恐怖の色が浮かんでいた。
 老婆は手紙を読んでいるうちに、顔の皺が次第に消えて、若い女の顔になった。けわしい眼をした残忍《ざんにん》の相《そう》ではあるが、ともかくも若い顔になったのである。するとまたここへ、かの黒い影がおおって来て、前のごとくにかれらを暗いなかへ包み去った。
 今はかの黒い影のほかには、この室内になんにも怪しい物はないので、わたしは眼を据えて、じっとそれを見つめていると、その影の頭にある二つの眼は、毒どくしい蟒蛇《うわばみ》の眼のように大きく飛び出して来た。火の玉は不規則に混乱して、あるいは舞いあがり、あるいは舞いさがり、その光りは窓から流れ込む淡い月の光りにまじりながら狂い騒いでいた。
 そ
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