をしかめて、その首を大きく振った。「そうすると、何か子細がありそうだな。広島とFの町とのあいだに限っているのは不思議だ。」
「まだ不思議なことは、それがいつでも上り列車に限っているのです。」
「いよいよ不思議だ。ねえ、そうじゃありませんか。」と、商人はわたしを見返った。
「不思議ですね。上り列車に限るとは……。」と、私もうなずいた。
「いや、まだあります。」と、車掌も調子に乗ったように説明した。「その蛇を持って来る人は、いつでもKの駅から乗込むのです。そうして、Fの駅へ近づいた時に発見されるのです。きょうもきっとそうだろうと思いながら、その乗車券をあらためて見ると、果たしてKの駅から乗った人でした。」
商人とわたしとは黙って顔を見合せていると、車掌は又言った。
「きょうのように偶然の事故から発見されることもありますが、多くのなかには発見されないで済むこともあるだろうと思われます。そうすると、たくさんの蛇がKの町から来る乗客に付きまとって、Fの町へ乗込むことになるわけです。」
「そう、そう。」と、商人はやや気味悪そうにうなずいた。「どうも判らない。なにか因縁があるのかな。」
「どうも変ですよ。」と、車掌も子細ありげに言った。「なにしろ蛇の騒ぎを起すのは、Kの町から来る人に限るのですからな。」
「その蛇はどこへ行くつもりかな。」と、商人はかんがえた。
「そりゃ判りませんね。」
「判らないのが本当だろうが、なにかFの町の方へ行って祟《たた》るつもりらしい。」と、商人は何もかも見透しているように言った。「きっとFの町の誰かに恨みがあって、ぞろぞろ繋《つな》がって乗込むに相違ない。怪談、怪談、どうも気味がよくないな。」
さっきの兄妹の顔がわたしの眼に浮かんだ。
商人もそれに気がついたように又言い出した。
「そうすると、あの兄妹が蛇の話を聞いて顔の色を変えたのが少しおかしいぞ、あの二人はFの駅から乗ったんだから……。」
「どんな人たちでした。」と、車掌は訊いた。
商人は二人の人相や風俗を説明して、彼らが途中から俄《にわ》かに下車したことを話すと、車掌も耳をすまして聴いていたが、さてそれが何者であるかを覚《さと》り得ないらしく、やがて私たちに会釈して立去った。
二
予定の通りに、わたしは岡山で弁当を買って食った。そうして、その日の夕方に神戸に着いた。そこで社用を済ませて、その晩は一泊して、あくる日の午前の汽車に乗込んで広島まで引っ返した。商売上のことはここで説明する必要もないが、私はその商売の都合で再び神戸へ行かなければならない事になったので、広島に暑苦しい一夜をすごして、その明くる日の午前には又もや神戸行きの列車に乗込んだ。残暑のきびしい折柄、同じところを往ったり来たりするのは可なりに難儀であったが、どうも致し方がない。しかもこの上り列車に乗ることに就いて、わたしは一種の興味を持たないでもなかった。
それは今度の列車にも、Kの町から乗り込む人があって、その人が又もや蛇を伴っているかも知れないということであったが、その期待はまったく外《はず》れてしまった。Kの町から乗った人もあり、Fの町で降りた人もあったが、いずれも平穏無事で、なんの人騒がせをも仕出来《しでか》さずに終ったので、わたしはひそかに失望しながら車外をぼんやり眺めていると、Fの駅の改札口をぬけて、十四、五人の乗客がつづいて出て来た。そのなかにあの学生の兄妹《きょうだい》の顔を見いだした時に、わたしは俄かに胸のおどるのをおぼえた。そうして、かれらがきょうも私の車室へ乗込むことを願っていると、二人はあたかも絲《いと》にひかれるように、わたしの車室へ入り込んで来たので、占めたと思って見ていると、あいにく車内には空席が多かったので、かれらはわたしよりも遠く離れた隅の方の席に腰をおろした。
それでも二人はわたしを見付けて、遠方から黙礼した。わたしも黙礼した。さりとて馴《な》れなれしく其の近所へ席を移すわけにも行かないので、わたしは残念ながら遠目に眺めているほかはなかった。
かれらが今日もここから乗込んだのを見ると、おとといは次の駅でいったん下車して、さらに下り列車に乗りかえてFの町へ引っ返し、きのう一日は自宅にとどまって、きょうの午前に再び出て来たものらしく思われた。かれらの服装も行李もすべて先日の通りであった。私はなお注意して窺うと、兄も妹もその顔色が先日よりも更によくない。殊に妹の顔は著るしく蒼ざめているように見えた。
かれらはKの町から続々乗込んで来る蛇の群れに悩まされているのではないかなどと、私はいろいろの空想をめぐらしながらひそかにその行動を監視していたが、かれらの上に怪しいような点も見いだされなかった。妹は黙って俯向《うつむ》いていた。兄も黙って車外をながめていた。
岡山でわたしは例のごとくに弁当を買った。かの兄妹も買った。その以外に、かれらの行動について私の記憶に残っているようなことはなかった。私はきょうも神戸で降りた。兄妹も下車した。かれらはおそらく新橋行きの列車に乗換えたのであろう。その後のことは勿論わたしに判ろう筈もなかった。
その翌年には日露戦争が始まって、わたしの勤めている門司支店は非常に忙がしかった。それが済むと、すばらしい好景気の時代が来た。明治四十年の四月、わたしは社用を帯びて上京して、約三ヵ月ばかりは東京の本社の方に詰めていることになった。
なにしろ久し振りで東京へ帰って来たのである。時は四月の花盛りで、上野には内国勧業博覧会が開かれている。地方からも見物の団体が続々上京する。天下の春はほとんど東京にあつまっているかと思われるような賑わいのなかに、わたしも愉快な日を送っていた。
しかし遊んでばかりはいられない。わたしは毎日一度はかならず出社する以外に、東京にある親戚や先輩や友人をたずねて、平素の無沙汰ほどきをしなければならないので、働くと遊ぶの暇をみて諸方へ顔出しをすることも怠らなかった。そのあいだに、わたしは江波先生をしばしば訪ねた。
先生は法学博士で、わたしが大学に在学中はいろいろのお世話になったことがある。その住宅は本郷の根津権現に近いところに在って、門を掩《おお》うている桜の大樹が昔ながらに白く咲き乱れているのも嬉しかった。第一回の訪問は四月の第一日曜日であったと記憶しているが、先生も奥さんもみな壮健で、二階の十畳の応接室へ通された。そこは日本の畳の上に絨緞《じゅうたん》を敷いて、椅子やテーブルを列《なら》べてあるのであった。
やがて若い女が茶を運んで来た。奥さんが自身に菓子鉢を持って来た。若い女はすぐに立去ったが、奥さんは先生とわたしに茶をついでくれた。
「あの方はお家《うち》のお嬢さんじゃありませんな。」と、わたしは訊いた。
「娘じゃありません。」と、奥さんは笑いながら答えた。「娘は少し風邪を引いて二、三日前から寝ています。あの人は多代子さんといって、よそから預かっているのです。」
「多代子さん……。もしやあの方は広島県の人じゃありませんか。Fの町の……。」
「ええ。」と、奥さんは先生と顔を見合せた。「よく御存じですね。」
「じゃあ、やっぱりそうでしたか。どうも見たことがあるように思っていました。」
「どこかでお逢いなすったことがあるのですか。」と、奥さんは再び笑いながら訊いた。
「はあ。山陽線の汽車のなかで……。そのときは兄さんらしい人と一緒でした。」
わたしは先年のことを簡単に話した。しかしどんな当り障りがあるかも知れないと思ったので、蛇の一件だけは遠慮してなんにも言わなかった。
「むむ、多代子さんは兄さんと一緒に相違あるまいが……。」と、先生は重い口で私にからかった。「君は誰と一緒に乗っていたかな。多代子さんに賄賂《わいろ》でも使って置かないと、飛んでもないことを素っ破抜かれるぜ。」
奥さんも私も笑い出した。
多代子はFの町の近在の三好という豪農のむすめで、兄の透《とおる》という青年と一緒に上京して、ある女学校に通っている。先生は三好の家と特別の関係があるわけでもないが、ある知人から頼まれて、多代子だけを預かって監督している。先生の家にも多代子と同年の娘があって、おなじ女学校に通っているので、旁々《かたがた》その世話をしてやることになったのである。兄の透はこの近所の植木屋の座敷を借りて、そこから通学している。これだけのことは奥さんの説明によって会得《えとく》することが出来た。多代子はことし十九で、容貌《きりょう》は見る通りに美しく、性質も温順で、学業の成績もよいので、まことに世話甲斐があると先生夫婦も楽しんでいるらしい口ぶりであった。
奥さんが降りて行った後に、先生とわたしは差向いで二時間ほども話した。先生は午飯《ひるめし》を食ってゆけと言われたが、わたしは他に廻るところがあるので、又お邪魔に出ますと言って二階を降りると、奥さんは多代子を連れて出て来た。
「もうお帰りですか。では、ここで改めて多代子さんを御紹介しましょう。」
彼女は果たしてわたしの顔を記憶していたかどうか知らないが、ともかくも型のごとくに挨拶《あいさつ》して別れた。先年はまだ少女といってもよかった多代子が、今は年ごろの娘に成長して、さらにその美を増したように見えた。その白い艶《あで》やかな顔には、先年見たような暗い蒼ざめた色を染め出していなかった。春風の吹く往来へ出て、わたしもなんだか一種の愉快を感じながら歩いた。
二回目に先生を訪問したのは四月の末で、その日は平日《へいじつ》であったので通学中の多代子さんは見えなかった。先生のお嬢さんも病気が全快して一緒に学校へ出て行ったとの事であった。
第三回の訪問は五月のなかばの日曜日で、わたしは午後七時ごろに上野行きの電車を降りると、博覧会は夜間開場をおこなっているので、広小路付近はイルミネーションや花瓦斯《はなガス》で昼のように明るかった。そこらは自由に往来が出来ないように混雑していた。
わたしはその賑わいを後ろにして池《いけ》の端《はた》から根津の方角へ急いだ。その頃はまだ動坂《どうざか》行きの電車が開通していなかったので、根津の通りも暗い寂しい町であった。路ばたには広い空地などもあって、家々のまばらな灯のかげは本郷台の裾に低く沈んでいた。わずかの距離で、上野と此処《ここ》とはこんなにも違うものかと思いながら、わたしは宵闇の路をたどってゆくと、やがて団子坂の下へ曲ろうとする路ばたの暗いなかで、突然にきゃっ[#「きゃっ」に傍点]という女の悲鳴が聞えたので、わたしは持っているステッキを把《と》り直して、その声をしるべに駈け出すと、出逢いがしらに駈けて来る一人の男があった。あぶなく突き当ろうとするのを摺りぬけて、彼はどこへか姿を隠してしまった。月はないが、星は明るい。少しく距《はな》れたところには煙草屋の軒ランプがぼんやりと点《とも》っている。その光りをたよりに透かしてみると、草原つづきの空地を横にした路ばたに、二人の女の影が見いだされた。
「どうかなすったんですか。」と、わたしは声をかけたが、女たちはすぐに答えなかった。
かれらの悲鳴を聞いて駈け付けたらしい、わたしに続いて巡査の角燈《かくとう》の光りがここへ近寄った。女は先生のお嬢さんと多代子の二人で、多代子はぐったりと倒れかかるのを、お嬢さんがしっかりと抱えているのである。それを見てわたしは又驚いた。
巡査の取調べに対して、お嬢さんは答えた。二人は根津の通りへ買物に出て、帰り路にここまで来かかると、空地の暗いなかから一人の男があらわれて、多代子の頸《くび》へ何かを投げつけたというのである。巡査は更に訊いた。
「なにを投げ付けたのですか。」
「蛇です。」と、多代子は低い声で答えた。
蛇と聞いて、巡査もお嬢さんも顔をしかめたが、わたしは更に強い衝動を感じた。多代子と蛇と――先年の汽車中の光景が忽《たちま》ちわたしの眼の先に浮かび出したのである。巡査は角燈を照らしてあたりを見廻すと、草のなかに果たして
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