お嬢さんと結婚しているばかりか、かの三好家の一件についてしばしばその名を聞き慣れているので、その死に対してやはり一種の衝動《ショック》を感ぜずにはいられなかった。
 震災の翌年、すなわち大正十三年の夏から、わたしは東京の本社詰めとなって大連を引揚げて来た。そうして、根津とは余り遠くない本郷台に住居を定めたので、先生の旧宅へも毎月一回ぐらいは欠かさずに訪問して、奥さんの昔話の相手になることが出来るようになった。
 深見夫人多代子の亡骸《なきがら》が熱海の海岸に発見されたのは、その翌年の一月である。
 前にもいう通り、家庭も極めて円満で、精神的にも物質的にも大いに恵まれていたらしく思われた多代子が、突然にこうした悲劇の女主人公となってしまったのは、実に意外というのほかはない。それに就いて種々の臆説が生み出されるのは無理もなかった。
 あるいは発狂ではあるまいかという噂もあったが、奥さんは私にむかってそれを否定していた。
「多代子さんは一月の十日、自動車に乗って御年始に来てくれました。その時に、この二十日ごろから熱海へ行くという話があって、今度は長く滞在することになるかも知れないから、当分は
前へ 次へ
全57ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング