るいは途中のどこかで下車したのか、いずれにしても、ここで偶然に私と席をならべることになったのである。
「やあ。あなたもお乗りでしたか。」
わたしは少しく吃《ども》りながら挨拶すると、彼も笑いながら会釈した。その顔は先夜と打って変って頗《すこぶ》る晴れやかに見えた。
「急に暑くなりました。」と、彼は馴れなれしく言った。
「そうです。俄か天気で暑くなりました。しかし梅雨《つゆ》もこれで晴れるでしょう。」と、わたしもだんだんに落着いて話し始めた。
彼はやはり二、三日前に東京を去ったのであるが、京都の親戚をたずねるために途中下車したと言って、京都見物の話などをして聞かせた。元来が温順の性質らしいが、さりとて寡言《むくち》というでもなく、陰鬱というでもなく、いかにも若々しいような調子で笑いながら話しつづけた。どう見ても、彼は一個の愛すべき青年である。これが一種の乱心であるとか、何かの祟り呪詛《のろい》を受けている人間であるとかいうような事は、どうしても私には考えられなかった。
「妹さんはどうなさいました。」と、私はなんにも知らない顔で訊いた。
「妹は東京に残って、鎌倉へ行くことになりました。
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