《けしき》をみせているが、しょせんは愛すべき一個の青年であることを、私は認めた。彼もわたしには遠慮したのか、あるいはだんだんに神経も鎮まって来たのか、やや落着いたような態度で椅子に腰をおろした。
 奥さんが茶を入れかえに立った後で、私はしずかに彼に訊いた。
「唯今伺ったところでは、妹さんを連れてお帰りになるのですか。」
「まあ、そうです。」と、彼はハンカチーフで額の汗を軽く拭きながら答えた。「どうも困りました。」
 彼はその以上に何事をも語らないので、なじみの薄いわたしが更に踏み込んで其の秘密を探り出すわけにも行かなかった。それと同時に、私がここに長居することは、彼と奥さんとの用談を妨げる虞《おそ》れがあるらしいので、彼ひとりをそこに残して、わたしは二階を降りて来ると、階段の下で奥さんに逢った。
「今晩はこれでお暇《いとま》します。」
「そうですか。」と、奥さんは気の毒そうな顔をしていた。
「いえ、まだ二、三日はこっちに居りますから、また出直して伺います。」
「では、是非もう一度……。」
 奥さんに送られて、わたしが玄関で靴を穿いているときにお嬢さんも出て来たが、多代子は姿を見せなかっ
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