た。門《かど》を出ると、細かい雨が又しとしとと降っていた。前にもいう通り、そのころの根津権現付近は静かであった。殊に梅雨の暗い夜にはほとんど人通りも絶えている位で、権現の池のあたりで蛙の鳴く声がさびしく聞えた。
 その暗い寂しいなかを五、六間ばかり歩き出すと、塀の蔭から一人の男が現われて私のそばへ近寄って来た。
「あなたは今、江波さんの家から出て来ましたね。」
 暗いので、その人相も風体も判らなかったが、今頃こんな所に忍んでいるのは例の不良青年ではないかという懸念があるので、わたしも油断せずに答えた。
「そうです。なにか御用ですか。」
「もう少し前に、若い男が一人はいって行きましたろう。」
 それは透のことであろうと私は察したので、いかにも其の通りだと答えると、男はわたしを路ばたの或る家の軒《のき》ランプの下へ連れて行って、一枚の名刺をとり出して見せた。彼は××警察署の刑事巡査であった。
「あの若い男は三好透という学生でしょう。」と、刑事は小声で言った。
「そうです。」
「江波博士とどういう関係があるのでしょう。」
 相手が警察の人間であるので、わたしは自分の知っているだけの事を正直に
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