。しかし、それを話す奥さんの顔色は余り晴れやかでなかった。
「なんだか変なことですね。」
「どういう事です。何か事件が出来《しゅったい》したんですか。」
「ええ。」と、奥さんはうなずいた。「また例の多代子さんのことで……。」
「また蛇でもぶつけられたんですか。」
「いいえ、そうじゃないのですが……。学校もやがて夏休みになるので、兄さんの透さんも帰省する。多代子さんも毎年一緒に帰るのですが、この夏に限って帰らないと言い出して、熱海か房州か、どこかの海岸へ行きたいと言うのです。郷里でも両親が待っているから、まあ帰れと兄さんが勧めるのですけれど、本人はどうしても忌《いや》だと言うのです。」
「なぜでしょう。」
「それはよく判りません。」と、奥さんは言った。「いくら本人が行きたいと言ったところで、若い娘たちをむやみに海岸の避暑地なぞへ出してやられるものではありません。誰か相当の者が付いて行かなければならないでしょう。兄さんでも一緒に行ってくれれば格別ですが、兄さんはどうしても帰省するという。妹は忌だという。といって、わたし達が付いて行くというわけにも行かず、まことに困ってしまうので、良人《うち
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