がら、今日まで誰にも洩らさなかったのである。ところが、その次男の次郎君が大学卒業の文学士となり、さらに先生のお嬢さんの婿となり、この江波家の人となるに及んで、その秘密が次郎君の口から奥さんに洩らされた。
次郎君も勿論くわしいことは知らないのであるが、足利時代の遠い昔、三好家はその土地における豪族であって、なにかの事情からKの土地に住む豪族の森戸家へ夜討ちをかけて、その一家を攻めほろぼした。その後、森戸家の遺族とか残党とかいう者どもが手をかえ、品をかえて、徳川の初期に至るまで約五十年の間、根《こん》よく復讐を企てたが、用心のいい三好家では一々それを返り討にして、結局かれらを根絶《ねだ》やしにしてしまった。女子供までも亡ぼし尽くした。その以来、一種の怪しい呪詛が三好家に付きまとって、代々の家族が蛇に祟られるというのである。
三好家は関ヶ原の合戦以後、武士をやめ普通の農家となったが、その祟りはやはり消え去らないので、元禄時代の当主がその地所内に一つの祠《ほこら》を作って、呪詛の蛇を祀《まつ》ることにした。森戸家のほろびたのは三月二十日であるので、毎月の二十日には供物《くもつ》をささげ、家族一同がその祠に参拝するのを例としていた。そのためか、家にまつわる怪しい呪詛も久しく其の跡を断ったのであるが、明治の後はそんな迷信も打破《だは》されてしまった。古い祠も先代の主人のために取毀された。
次郎君の知っているのは、それだけの伝説に過ぎないのであって、まだ其他にも何かの事情があるのかも知れない。いずれにしても、そんな迷信じみた伝説がほとんど何人《なんぴと》にも忘れられてしまった明治時代の末期から、前に言ったような種々の不思議(?)が再び現われて来たのである。三好家では勿論かくしているが、しばしば怪しい蛇に見舞われて、何かの迷惑と恐怖とを感ずることがあるらしい。それに対して、桐沢氏も最初は一笑に付していたが、近頃では「どうも不思議だ。」などと首をかしげている事もあるという。したがって、桐沢氏がKの町出身の深見氏のところへ多代子を媒妁することになったのは、故意か偶然か判らない。次郎君は
「親父は何かの罪亡ぼしのつもりかも知れない。」と笑っているそうであるが、さてその深見氏が、かの森戸家の後裔《こうえい》であるかどうか、そんなことは勿論わからない。
以上の物語が終ったころに、先生
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