どうもわたしは驚きましたよ。多代子さんを付け狙った不良青年は、やっぱり広島県のKの町の生れだったそうです。」
「そうですか。」と、わたしも眼をかがやかした。「じゃあ、多代子さんの身許《みもと》を知っていたんでしょうか。」
「それは知らないのだそうですがね。そんな事を常習的にやっているので、警察からも眼をつけられている不良青年で、多代子さんがFの町の人だか、三好という家の娘だか、そんなことはなんにも知らないで、ただその容貌《きりょう》の好いのを見て付け狙ったというだけの事らしいのです。しかし、それがちょうどにKの町の人間だというのが不思議じゃありませんか。」と、奥さんは眉をよせた。
「不思議ですね。」と、私もなんだか不思議のように思われてならなかった。
「ねえ、そうでしょう。」と、奥さんは重ねて言った。「良人《うち》はあんな人ですから、何を言っても取合ってはくれませんけれど、わたしはなんだか気になるので、多代子さんにいろいろ訊いてみましたが、本人はなんにも心当りがないと言うのです。けれども、あなたのお話によると、多代子さんの兄妹は汽車のなかで蛇の話を聞いて、途中で急に下車して家に引っ返したらしいというじゃありませんか。してみると、やっぱり何か思い当ることがあるに相違ないと思われるのですが……。」
当人が隠しているものを無理に詮議するのも好くないから、まず其のままにして置いたが、その以来、自分の家に多代子さんを預かっているのが何だか不安になって来たと、奥さんは小声で話した。奥さんの鑑定通り、多代子は何かの秘密を知っていながら、あくまでも知らないと言い張っているらしく思われたが、さてそれがどんな秘密であるかは、所詮《しょせん》われわれの想像の及ばないことであった。
「多代子さんの兄さんが来たときに訊いてみようかとも思うのですが、それもなんだか変ですからねえ。」と、奥さんは考えていた。
「それはお止《よ》しになった方がいいでしょう。」と、わたしは注意した。「そのうちには自然に判ることがあるかも知れません。」
「そうですねえ。多代子さんと違って、透さんにうっかりそんなことを訊いて、それが良人《うち》の耳にでもはいると、わたしが又叱られますから。」
多代子の話はそれで打切りになった。先生の帰りは遅くなりそうだというので、わたしは奥さんと三十分ほど話して帰った。社の用件も片付
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