の小さい穴の口には「一銭銅貨を入れると出ます」と書き添えてあった。
源氏の将軍が預言者であったか、売卜者《ばいぼくしゃ》であったか、わたしは知らない。しかしこの町の人たちは、果して頼家公に霊あるものとしてこういうものを設けたのであろうか、あるいは湯治客の一種の慰みとして設けたのであろうか。わたしは試みに一銭銅貨を入れてみると、からからという音がして、下の口から小さく封じた活版刷の御神籤《おみくじ》が出た。あけて見ると、第五番凶とあった。わたしはそれが当然だと思った。将軍にもし霊あらば、どの御神籤にもみんな凶が出るに相違ないと思った。
修禅寺はいつ詣《まい》っても感じのよい御寺である。寺といえばとかくに薄暗い湿っぽい感じがするものであるが、この御寺ばかりは高いところに在って、東南の日を一面にうけて、いかにも明るい爽かな感じをあたえるのがかえって雄大荘厳の趣を示している。衆生をじめじめした暗い穴へ引摺《ひきず》ってゆくのでなくて、赫灼《かくしゃく》たる光明を高く仰がしめるというような趣がいかにも尊げにみえる。
きょうも明るい正午の日が大きい甍《いらか》を一面に照して、堂の家根に立っ
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