どもが振照す提灯《ちょうちん》の火のかげに、乗合馬車の馬のたてがみの顫えて乱れているのが見えた。わたしは風を恐れて自働車に乗った。
修善寺の宿につくと、あくる日はすぐに指月ヶ岡にのぼって、頼家の墓に参詣《さんけい》した。わたしの戯曲『修禅寺物語』は、十年前の秋、この古い墓のまえに額《ぬか》ずいた時に私の頭に湧き出した産物である。この墓と会津の白虎隊の墓とはわたしに取って思い出が多い。その後、私はどう変ったか自分にはよく判らないが、頼家公の墓はよほど変っていた。
その当時の日記によると、丘の裾には鰻屋が一軒あったばかりで、丘の周囲には殆《ほとん》ど人家がみえなかった。墓は小さい堂のなかに祀《まつ》られて、堂の軒には笹竜胆《ささりんどう》の紋を染めた紫の古びた幕が張り渡されていて、その紫の褪《さ》めかかった色がいかにも品の好い、しかも寂しい、さながら源氏の若い将軍の運命を象徴するかのように見えたのが、今もありありと私の眼に残っている。ところが、今度かさねて来てみると、堂はいつの間には取払われてしまって、懐しい紫の色はもう尋ねるよすがもなかった。なんの掩《おお》いをも有《も》たない古い
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