ち替へ作り替へて、心ならずも延引に延引をかさねましたる次第、なにとぞお察しくださりませ。
頼家 えゝ、催促の都度におなじことを……。その申譯は聞き飽いたぞ。
五郎 この上は唯だ延引とのみでは相濟むまい。いつの頃までにはかならず出來するか、あらかじめ期日をさだめてお詫を申せ。
夜叉王 その期日は申上げられませぬ。左に鑿をもち、右に槌を持てば、面はたやすく成るものと思召すか。家をつくり、塔を組む、番匠なんどとは事變りて、これは生《しやう》なき粗木《あらき》を削り、男、女、天人、夜叉、羅刹《らせつ》、ありとあらゆる善惡邪正《ぜんなくじやしやう》のたましひを打ち込む面作師。五體にみなぎる精力《せいりき》が、兩の腕《かひな》におのづから湊《あつ》まる時、わがたましひは流るゝ如く彼に通ひて、はじめて面も作られまする。但しその時は半月の後か、一月の後か、あるひは一年二年の後か。われながら確《しか》とはわかりませぬ。
僧 これ、これ、夜叉王どの。上樣は御自身も仰せらるゝごとく、至つて御性急でおはします。三島の社の放し鰻《うなぎ》を見るやうに、ぬらりくらりと取止めのないことばかり申上げてゐたら、御|癇癖《かんぺき》がいよ/\募らうほどに、こなたも職人冥利、いつの頃までと日を限つて、しかと御返事を申すがよからうぞ。
夜叉王 ぢやと云うて、出來ぬものはなう。
僧 なんの、こなたの腕で出來ぬことがあらう。面作師も多くあるなかで、伊豆の夜叉王といへば、京鎌倉までも聞えた者ぢやに……。
夜叉王 さあ、それゆゑに出來ぬと云ふのぢや。わしも伊豆の夜叉王と云へば、人にも少しは知られたもの。たとひお咎《とが》め受けうとも、己が心に染まぬ細工を、世に殘すのはいかにも無念ぢや。
頼家 なに、無念ぢやと……。さらばいかなる祟りを受けうとも、早急《さつきふ》には出來ぬといふか。
夜叉王 恐れながら早急には……。
頼家 むゝ、おのれ覺悟せい。
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(癇癖募りし頼家は、五郎のさゝげたる太刀を引つ取つて、あはや拔かんとす。奧より桂、走り出づ。)
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かつら まあ、まあ、お待ちくださりませ。
頼家 えゝ、退け、のけ。
かつら 先づお鎭まりくださりませ。面《おもて》は唯今獻上いたしまする。なう、父樣《とゝさま》。
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(夜叉王は默して答へず。)
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五郎 なに、面は已に出來《しゆつたい》してをるか。
頼家 えゝ、おのれ。前後不揃ひのことを申立てゝ、予をあざむかうでな。
かつら いえ、いえ、嘘いつはりではござりませぬ。面はたしかに出來して居りまする。これ、父樣。もうこの上は是非がござんすまい。
かへで ほんにさうぢや。ゆうべ漸《やうや》く出來したと云ふあの面を、いつそ獻上なされては……。
僧 それがよい、それがよい。こなたも凡夫ぢや。名も惜からうが、命も惜からう。出來した面があるならば、早う上樣にさしあげて、お慈悲をねがふが上分別ぢやぞ。
夜叉王 命が惜いか、名が惜いか、こなた衆の知つたことではない。默つておゐやれ。
僧 さりとて、これが見てゐられうか。さあ、娘御。その面を持つて來て、兎もかくも御覽に入れたがよいぞ。早う、早う。
かへで あい、あい。
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(かへでは細工場へ走り入りて、木彫の假面《めん》を入れたる箱を持ち出づ。桂はうけ取りて頼家の前にさゝぐ。頼家は無言にて桂の顏をうちまもり、心少しく解けたる體なり。)
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かつら いつはりならぬ證據、これ御覽くださりませ。
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(頼家は假面を取りて打ちながめ、思はず感嘆の聲をあげる。)
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頼家 おゝ、見事ぢや。よう打つたぞ。
五郎 上樣おん顏に生寫しぢや。
頼家 むゝ。(飽かず打戍る)
僧 さればこそ云はぬことか。それほどの物が出來してゐながら、兎かう澁つて居られたは、夜叉王どのも氣の知れぬ男ぢや。はゝゝゝゝ。
夜叉王 (形をあらためる)何分にもわが心にかなはぬ細工、人には見せじと存じましたが、かう相成つては致方もござりませぬ。方々にはその面《おもて》をなんと御覽なされまする。
頼家 さすがは夜叉王、あつぱれの者ぢや。頼家も滿足したぞ。
夜叉王 あつぱれとの御賞美は憚《はゞか》りながらおめがね違ひ、それは夜叉王が一生の不出來。よう御覽《ごらう》じませ。面は死んでをりまする。
五郎 面が死んでをるとは……。
夜叉王 年ごろあまた打つたる面は、生けるがごとしと人も云ひ、われも許して居りましたが、不思議やこのたびの面に限つて、幾たび打直しても生きたる色なく、たましひもなき死人の相……。それは世にある人の面ではござりませぬ。死人の面でござりまする。
五郎 そちは左樣に申しても、われらの眼には矢はり生きたる人の面……。死人の相とは相見えぬがなう。
夜叉王 いや、いや、どう見直しても生ある人ではござりませぬ。しかも眼《まなこ》に恨を宿し、何者をか呪ふがごとき、怨靈《をんりやう》怪異《あやかし》なんどのたぐひ……。
僧 あ、これ、これ、そのやうな不吉のことは申さぬものぢや。御意にかなへばそれで重疊《ちようでふ》、ありがたくお禮を申されい。
頼家 むゝ、兎にも角にもこの面は頼家の意にかなうた。持歸るぞ。
夜叉王 強《たつ》て御所望とござりますれば……。
頼家 おゝ、所望ぢや。それ。
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(頼家は頤《あご》にて示せば、かつら心得て假面を箱に納め、すこしく媚を含みて頼家にさゝぐ。頼家は更にその顏をぢつと視る。)
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頼家 いや、猶《なほ》かさねて主人《あるじ》に所望がある。この娘を予が手許に召仕ひたう存ずるが、奉公さする心はないか。
夜叉王 ありがたい御意にござりまするが、これは本人の心まかせ、親の口から御返事は申上げられませぬ。
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(桂は臆せず、すゝみ出づ。)
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かつら 父樣。どうぞわたしに御奉公を……。
頼家 うい奴ぢや。奉公をのぞむと申すか。
かつら はい。
頼家 さらばこれよりその面をさゝげて、頼家の供してまゐれ。
かつら かしこまりました。
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(頼家は起《た》つ。五郎も起つ。桂もつゞいて起つ。楓は姉の袂をひかへて、心許《こゝろもと》なげに囁く。)
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かへで 姉さま。おまへは御奉公に……。
かつら おまへは先程、夢のやうな望みと笑うたが、夢のやうな望みが今叶うた。
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(かつらは誇りがに見かへりて、庭に降り立つ。)
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僧 やれ、やれ、これで愚僧も先づ安堵いたした。夜叉王どの、あす又逢ひませうぞ。
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(頼家は行きかゝりて物につまづく。桂は走り寄りてその手を取る。)
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頼家 おゝ、いつの間にか暗うなつた。
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(僧はすゝみ出でて、桂に燈籠を渡す。桂は假面の箱を僧にわたし、我は片手に燈籠を持ち、片手に頼家をひきて出づ。夜叉王はぢつと思案の體なり。)
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かへで 父さま、お見送りを……。
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(夜叉王は初めて心づきたる如く、娘と共に門口に送り出づ。)
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五郎 そちへの御褒美は、あらためて沙汰するぞ。
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(頼家等は相前後して出でゆく。夜叉王は起ち上りて、しばらく默然としてゐたりしが、やがてつか/\と縁にあがり、細工場より槌を持ち來りて、壁にかけたる種々の假面を取下《とりおろ》し、あはや打碎かんとす。楓はおどろきて取縋る。)
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かへで あゝ、これ、なんとなさる。おまへは物に狂はれたか。
夜叉王 せつぱ詰りて是非におよばず、拙《つたな》き細工を獻上したは、悔んでも返らぬわが不運。あのやうな面が將軍家のおん手に渡りて、これぞ伊豆の住人夜叉王が作と寶物帳にも記されて、百千年の後までも笑ひをのこさば、一生の名折れ、末代の恥辱、所詮夜叉王の名は廢《すた》つた。職人もけふ限り、再び槌は持つまいぞ。
かへで さりとは短氣でござりませう。いかなる名人上手でも細工の出來不出來は時の運。一生のうちに一度でも天晴《あつぱ》れ名作が出來ようならば、それが即ち名人ではござりませぬか。
夜叉王 むゝ。
かへで 拙い細工を世に出したをそれほど無念と思召さば、これからいよ/\精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥を雪《すゝ》いでくださりませ。
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(かへでは縋りて泣く。夜叉王は答へず、思案の眼を瞑《と》ぢてゐる。日暮れて笛の聲遠くきこゆ。)
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       (二)

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おなじく桂川のほとり、虎溪橋《こけいけう》の袂。川邊には柳幾|本《もと》たちて、芒《すゝき》と蘆とみだれ生ひたり。橋を隔てゝ修禪寺の山門みゆ。同じ日の宵。
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(下田五郎は頼家の太刀を持ち、僧は假面の箱をかゝへて出づ。)
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五郎 上樣は桂どのと、川邊づたひにそゞろ歩き遊ばされ、お供の我々は一足先へまゐれとの御意であつたが、修禪寺の御座所ももはや眼のまへぢや。この橋の袂にたゝずみて、お歸りを暫時相待たうか。
僧 いや、いや、それは宜しうござるまい。桂殿といふ嫋女《たをやめ》をお見出しあつて、浮れあるきに餘念もおはさぬところへ、我々のごとき邪魔外道が附き纒《まと》うては、却つて御機嫌を損ずるでござらうぞ。
五郎 なにさまなう。
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(とは云ひながら、五郎は猶不安の體《てい》にてたゝずむ。)
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僧 殊に愚僧はお風呂の役、早う戻つて支度をせねばなるまい。
五郎 お風呂とて自づと沸いて出づる湯ぢや。支度を急ぐこともあるまいに……。先づお待ちやれ。
僧 はて、お身にも似合はぬ不粹をいふぞ。若き男女《をとこをうな》がむつまじう語らうてゐるところに、法師や武士は禁物ぢやよ。はゝゝゝゝ。さあ、ござれ、ござれ。
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(無理に袖をひく。五郎は心ならずも曳かるゝまゝに、打連れて橋を渡りゆく。月出づ。桂は燈籠を持ち、頼家の手をひきて出づ。)
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頼家 おゝ、月が出た。河原づたひに夜ゆけば、芒にまじる蘆の根に、水の聲、蟲の聲、山家《やまが》の秋はまた一としほの風情ぢやなう。
かつら 馴れては左程にもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事變りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しうござりませう。
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(頼家はありあふ石に腰打ちかけ、桂は燈籠を持ちたるまゝ、橋の欄に凭《よ》りて立つ。月明かにして蟲の聲きこゆ。)
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頼家 鎌倉は天下の覇府、大小名の武家小路、甍《いらか》をならべて綺羅を競へど、それはうはべの榮えにて、うらはおそろしき罪の巷、惡魔の巣ぞ。人間の住むべきところで無い。鎌倉などへは夢も通はぬ。(月を仰ぎて云ふ)
かつら 鎌倉山に時めいて
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