自分の見たままを正直に申立てた。しかし唯おそろしくなって逃げ帰ったとは言われないので、かれは大きい魚と闘いながら、淵の底をくまなく見廻ったが、なにぶんにも鐘らしいものは見当らなかったと報告した。三上も大原も目的の鐘を発見しなかったは同様であるが、大原の方にはいろいろの冒険談があっただけに諸人の興味をひいた。かれの報告のいつわりでないのは、その左の脾腹に大きい紫の痣《あざ》を残しているのを見ても知られた。
つづいて第三番の福井文吾が水をくぐった。彼はやがて浮きあがって来て、こういう報告をした。
「淵の底には鐘が沈んでおります。一面の水草が取付いてそよいでおりますので、その大きさは確かに判りませぬが、鐘は横さまに倒れているらしく、薄暗いなかに龍頭《りゅうず》が光っておりました。」
かれは第一の殊勲者で、沈める鐘を明らかに見とどけたのである。将軍からも特別に賞美のことばを下された。
「文吾、大儀であった。その鐘を水の底に埋めておくのは無益じゃ。いずれ改めて引揚げさするであろう。」
鐘を引揚げるには相当の準備がいる。とても今すぐという訳にはいかないことは誰も知っているので、いずれ改めてという沙汰だけで、将軍はもとの芝生の茶屋へ戻った。御徒士の者共も木母寺の休息所へ引っ返して、かの三人は組頭からも今日の骨折りを褒められたが、そのなかでも福井が最も面目をほどこした。公方家《くぼうけ》から特別に御賞美のおことばを下されたのは徒士組の名誉であると、組頭も喜んだ。他の者共も羨んだ。
喜ぶとか羨むとかいうほかに、それが大勢の好奇心をそそったので、福井のまわりを幾重にも取りまいて、みな口々に種々の質問を浴びせかけた。鐘の沈んでいた位置、鐘の形、その周囲の状況などを、いずれもくわしく聞こうとした。福井がこうして持囃《もてはや》されるにつけて、ここに手持無沙汰の人間がふたり出来た。それは三上治太郎と大原右之助でなければならない。この二人は鐘を認めないと報告したのに、最後に行って、しかも最も年のわかい福井文吾がそれを見いだしたというのであるから、かれらはどうしても器量を下げたことになる。ことに一番の年上でもあり、家柄も上であるところの三上は、若輩の福井に対してまことに面目ない男になったのである。
三上は大原を葉桜の木かげへ招いで、小声で言い出した。
「福井はほんとうに鐘を見付けたのだ
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