られる。
寒風に吹き晒《さら》されて、両手に胼《ひび》を切らせて、紙鳶に日を暮した二十年|前《ぜん》の小児は、随分乱暴であったかも知れないが、襟巻《えりまき》をして、帽子を被って、マントに包《くる》まって懐手《ふところで》をして、無意味にうろうろ[#「うろうろ」に傍点]している今の小児は、春が来ても何だか寂しそうに見えてならない。
六 獅子舞
獅子というものも甚だ衰えた。今日《こんにち》でも来るには来るが、いわゆる一文獅子《いちもんじし》というものばかりで、本当の獅子舞は殆《ほとん》ど跡を断った。明治二十年頃までは随分立派な獅子舞が来た。先《ま》ず一行数人、笛を吹く者、太皷《たいこ》を打つ者、鉦《かね》を叩く者、これに獅子舞が二|人《にん》もしくは三人附添っている。獅子を舞わすばかりでなく、必ず仮面《めん》を被って踊ったもので、中には頗《すこぶ》る巧みに踊るのがあった。彼らは門口《かどぐち》で踊るのみか、屋敷内へも呼び入れられて、色々の芸を演じた。球《まり》を投げて獅子の玉取《たまとり》などを演ずるのは、よほど至難《むずかし》い芸だとか聞いていた。
元園町《もとぞの
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