って往来した位であった。暮の二十日《はつか》頃になると、玩具屋《おもちゃや》駄菓子店《だがしや》等までが殆ど臨時の紙鳶屋に化けるのみか、元園町の角には市商人《いちあきんど》のような小屋掛の紙鳶屋が出来た。印半纏《しるしばんてん》を着た威勢の好《い》い若衆《わかいしゅ》の二、三人が詰めていて、糸目を付けるやら、鳴弓《うなり》を張るやら、朝から晩まで休みなしに忙しい。その店には少年軍が隊をなして詰め掛けていた。
 紙鳶の種類も色々あったが、普通は字紙鳶、絵紙鳶、奴《やっこ》紙鳶で、一枚、二枚、二枚半、最も多いのは二枚半で、四枚六枚となっては小児《こども》には手が付けられなかった。二枚半以上の大紙鳶は、職人かもしくは大家《たいけ》の書生などが揚げることになっていた。松の内は大供《おおども》小供入り乱れて、到るところに糸を手繰《たぐ》る。またその間に、娘子供は羽根を突く。ぶんぶんという鳴弓の声、戞々《かつかつ》という羽子《はご》の音。これがいわゆる「春の声」であったが、十年以来の春の巷《ちまた》は寂々寥々《せきせきりょうりょう》。往来で迂濶《うかつ》に紙鳶などを揚げていると、巡査が来てすぐに叱
前へ 次へ
全15ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング