、十幾年の後《のち》に知った。
 その頃の湯風呂には、旧式の石榴口《じゃくろぐち》というものがあって、夜などは湯烟《ゆげ》が濛々《もうもう》として内は真暗《まっくら》。加之《しかも》その風呂が高く出来ているので、男女《なんにょ》ともに中途の蹈段を登って這入《はい》る。石榴口には花鳥風月《かちょうふうげつ》もしくは武者絵などが画いてあって、私のゆく四丁目の湯では、男湯の石榴口に『水滸伝《すいこでん》』の花和尚《かおしょう》と九紋龍《きゅうもんりゅう》、女湯の石榴口には例の西郷・桐野・篠原の画像が掲げられてあった。
 男湯と女湯との間は硝子戸《がらすど》で見透《みすか》すことが能《でき》た。これを禁止されたのはやはり十八、九年の頃であろう。今も昔も変らないのは番台の拍子木の音。

     五 紙鳶《たこ》

 春風が吹くと、紙鳶を思い出す。暮の二十四、五日頃から春の七草、即ち小学校の冬季休業の間は、元園町《もとぞのちょう》十九と二十の両番地に面する大通り(麹町《こうじまち》三丁目から靖国神社に至る通路)は、紙鳶を飛ばす我々少年軍に依て殆《ほとん》ど占領せられ、年賀の人などは紙鳶の下をくぐ
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