のであるが、何しろ西郷というのが呼物で、大繁昌《おおはんじょう》であった。私なども母に強請《せが》んで幾度《いくたび》も買った。
 その他《ほか》にも西郷糖という菓子を売りに来たが、「あんな物を喰っては毒だ」と叱られたので、買わずにしまった。

     四 湯屋

 湯屋の二階というものは、明治十八、九年の頃まで残っていたと思う。わたしが毎日入浴する麹町《こうじまち》四丁目の湯屋にも二階があって、若い小綺麗《こぎれい》な姐《ねえ》さんが二、三人いた。
 私が七歳《ななつ》か八歳《やっつ》の頃、叔父に連れられて一度その二階に上《のぼ》ったことがある。火鉢に大きな薬缶《やかん》が掛けてあって、その傍《そば》には菓子の箱が列《なら》べてある。後《のち》に思えば例の三馬の『浮世風呂』をそのままで、茶を飲みながら将棋《しょうぎ》をさしている人もあった。
 時は丁度五月の始めで、おきよさんという十五、六の娘が、菖蒲《しょうぶ》を花瓶《はないけ》に挿していたのを記憶している。松平紀義《まつだいらのりよし》のお茶の水事件で有名な御世梅《ごせめ》お此《この》という女も、かつてこの二階にいたということを
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