せて、小柄ではあるが、色白の小粋な男で、手甲《てっこう》脚袢《きゃはん》の甲斐甲斐《かいがい》しい扮装《いでたち》をして、肩にはおでんの荷を担《かつ》ぎ、手には渋団扇《しぶうちわ》を持って、おでんやおでんやと呼んで来る。実に佳《い》い声であった。
元園町《もとぞのちょう》でも相当の商売があって、わたしも度々《たびたび》買ったことがある。ところが、このおでん屋は私の父に逢《あ》うと相互《たがい》に挨拶する。子供心にも不思議に思って、だんだん聞いて見ると、これは市ヶ谷|辺《へん》に屋敷を構えていた旗下《はたもと》八|万騎《まんぎ》の一人《いちにん》で、維新後思い切って身を落し、こういう稼業《かぎょう》を始めたのだという。あの男も若い時には中々道楽者であったと、父が話した。なるほど何処《どこ》かきりり[#「きりり」に傍点]として小粋なところが、普通の商人《あきんど》とは様子が違うと思った。その頃にはこんな風《ふう》の商人が沢山あった。これもそれと似寄《により》の話で、やはり十七年の秋と思う。わたしが父と一所《いっしよ》に四谷へ納涼《すずみ》ながら散歩にゆくと、秋の初めの涼しい夜で、四谷|伝
前へ
次へ
全15ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング