れたあかつきにはお前ばかりの難儀でない、一座の者の迷惑にもなることだから、あの女だけは思い切れと叱るように言って聞かせました。太夫元はまた、万一親分が我慢しても子分たちが承知する筈がない。大勢が芝居小屋へ押し掛けて来て、木戸を打ち毀すなどは往々ある習いだから、あの女だけはどうぞ手を切ってくれと、頼むようにいって聞かせました。六三郎はやさしい眼に涙をうかべて、長い袂を膝の上に重ねまして、「どうも御心配をかけて済みません。」と、唯ひとこと言いました。で、いよいよ思い切るのかと念を押すと、六三郎はわっと泣き出しました。それから先きはなんといっても、泣くばかりで返事をしないので、みんなもしまいにはもてあましてしまって、まあ、よく考えて御覧というようなことで、その場はうやむやに済んでしまいました。
六三郎は自分の座敷へしょんぼりと帰って来ました。田舎にしては広い宿屋で、六三郎の座敷は南向きの縁側を前にしていたそうです。旧暦の八月ももう半ば過ぎで、日のうちはまだちっと暑いようですけれども、広い家の隅々や庭の木の蔭などは、昼間でもなんとなく冷やりとして、縁の下では頻りにこおろぎが鳴いていました。一
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