っていたらしい。それでもまさかに彼女を殺そうとも思っていなかったでしょうが、あいにくにこの旅行さきで遠山に偶然出逢ったのが間違いのもとで、兼子はなんにも知らないから、遠山にここで出逢ったのを喜んで、みね子の見ている前でも随分遠慮なしにふざけたらしい。そこでみね子はかっとなって急におそろしい料簡――それも恐らく沢桔梗を毒草と知った一刹那――むらむらとそんな料簡が起こったのでしょう。ゆう飯の食い物のなかにその毒草の汁をしぼり込んで、兼子を殺そうと企てたのです。」
「そうして、自分も一緒に死ぬつもりだったんですかしら。」と、僕は少し首をかしげた。
「そこが問題です。警察の方でもいろいろ取り調べた結果、これだけの事情は判明したのです。その晩、宿の女中が三人の膳を運んでくると、みね子はわざわざ座敷の入口まで立って来て、女中の手からその膳をうけ取って、めいめいの前へ順々に列べたそうです。その間になにか手妻をつかって、彼女はその毒をそそぎ入れたものと想像されるのです。給仕に出た女中の話によると、三人が膳の前に坐っていざ食いはじめるという時に、みね子はついと起って便所へ行ったそうです。それから帰って来て、再び自分の膳の前に坐った時に、あたかもその隣りにいた近子が平の椀に箸をつけようとすると、みね子はその椀のなかを覗いて見て、あなたのお椀のなかにはなんだか虫のようなものがいるから、わたしのと取り換えてあげましょうといって、その椀と自分の椀とを膳の上におきかえてしまったという。それらの事情から考えると、恋がたきの兼子ひとりを殺しては人の疑いをひくおそれがあるので、罪もない近子までも一緒にほろぼして、なにかの中毒と思わせる計画であったらしい。女はおそろしいものですよ。」
「そうですね。」
 僕は思わず戦慄した。
「それでも良心の呵責があるので、彼女は膳にむかうと、また起った。そこに二様の判断がつくのです。」と、かれは更に説明した。「彼女が座敷へ戻るまでの間に、果たしてどう考えたかが問題です。急におそろしくなって止めようとしたか、それともあくまでも決行しようと考えていたか、そこはよく判らない。一旦は中止しようと思ったが、兼子がもうその椀に箸をつけてしまったのを見て、今さら仕様がないと決心して、自分も一緒に死ぬ覚悟で近子の椀を取ったのか。あるいは兼子を殺すのは最初からの目的であるが、罪もない
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