近子がなんにも知らずにその毒を食おうとするのを見て、急にたまらなくなってその椀を自分のと取り換えたのか、いずれにしても、毒と知りつつその椀に箸をつけた以上、彼女も生きる気はなかったに相違ない。みね子が椀を取りかえたのは、給仕の女中ばかりでなく近子自身も認めている。そこへあたかも山椒の魚の問題が起こったので、事件はひどくこんがらかったのですが、それは一種の余興にすぎないことで、毒草事件とは全く無関係であるということが、後でようやく判明したのです。近子は遠山と二人の友達との関係をよく承知していたらしいのですから、初めに早くそれを言ってくれると、もう少し早く解決がついたのですが、あくまでも秘していたものですから、その取り調べが面倒になってしまったのです。遠山もそうです。初めに早く白状すればいいのですが、これもなるべく隠そうとしていたものですから、警察にも余計な手数をかけたわけです。それでも遠山は兼子との関係をとうとう白状しましたが、みね子との関係は絶対に否認していました。どっちが本当だか判りませんよ。」
「しかしそれだけ判れば、あなたの御通信には差し支えないでしょう。」
「ところがいけない。実は馬鹿を見ましたよ。」と、かれは不平らしく言った。「学校の方では勿論、死んだ二人の遺族の者も、この秘密をどうぞ発表してくれるなと、警察の方へ泣きついたものですから、表面は単になにかの中毒ということになってしまうらしいのです。それじゃあ面白い通信も書けませんよ。わたしも頼まれたから仕方がない。名の知れない茸の中毒ぐらいのことにして、短く書いて送るつもりです。」
 通信員はあくる朝早々に出て行った。僕もおなじ町の方へむかって行くので、一緒に連れ立って出発した。その途中で彼は指さして僕に教えた。
「御覧なさい。あすこでも山椒の魚を売っていますよ。」
 僕はその醜怪な魚の形を想像するにたえなかった。それが怖ろしい女の姿のように見えて――。
[#地付き](『近古探偵十話』春陽堂、28[#「28」は縦中横]/『岡本綺堂読物選集・6』青蛙房、69[#「69」は縦中横]・10[#「10」は縦中横])



底本:「文藝別冊[総特集]岡本綺堂」河出書房新社
   2004(平成16)年1月30日発行
底本の親本:「岡本綺堂読物選集6」青蛙房
   1969(昭和44)年10月
初出:「近古探偵十話」春
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