郎という人がありました。二百俵ほど取っていた組与力で、年はまだ二十一、阿母《おっか》さんと中間《ちゅうげん》と下女と四人暮しで、先ず無事に御役をつとめていたのですが、この人に一つの道楽がある。それは例の芝居好きで、どこの座が贔屓だとか、どの俳優《やくしゃ》が贔屓だとか云うのでなく、どこの芝居でも替り目ごとに覗きたいというのだから大変です。ほかの小遣いはなるたけ倹約して、みんな猿若町へ運んでしまう。侍としてはあまり好《い》い道楽ではありません。いつぞやお話をした桐畑の太夫――あれよりはずっと[#「ずっと」に傍点]優《ま》しですけれども、やはり世間からは褒められない方です。
 それでも阿母《おっか》さんは案外に捌けた人で、いくら侍でも若いものには何かの道楽がある。女狂いよりは芝居道楽の方がまだ始末がいゝと云ったようなわけで、さのみにやかましく云いませんでしたから、本人は大手をふって屋敷を出てゆく。そのうちに一つの事件が出来《しゅったい》した。というのは、文久二年の市村座の五月狂言は「菖蒲合仇討講談《しょうぶあわせあだうちこうだん》」で、合邦《がっぽう》ヶ辻に亀山の仇討を綴じあわせたもの。俳
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