のお仲間入りをしたのでしょう。それについても定めて内外《うちそと》から色々の苦情があったことゝ察しられますが、当人が飽までも遊芸に執着しているのだから仕方がありません。小坂さんはとう/\自分の思い通りの小普請になって、さあこれからはおれの世界だとばかりに、大びらで浄瑠璃道楽をはじめることになりました。いや、もうその頃は所謂お道楽を通り越して、本式の芸というものになっていたのです。
 こうなると、自分の屋敷内で遠慮勝に語ったり、友だちの家へ行って慰み半分に語ったりしているだけでは済まなくなりました。当人はどこまでも真剣です。だん/\と修業が積むにつれて、自然と芸人附合をも始めるようになって、諸方のお浚いなどへも顔を出すと、それがまったく巧いのだから誰でもあっと感服する。桐畑の殿様を素人にして置くのは勿体ないなどと云う者もある。当人もいよ/\乗気になって、浜町の家元から清元|喜路《きじ》太夫という名前まで貰うことになってしまいました。勿論それで飯を食うというわけではありませんが、千五百石の殿様が清元の太夫さんになって、肩衣《かたぎぬ》をつけて床《ゆか》にあがるというのですから、世間に類の少
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