しいとのこと也。しかし挽地物屋はほかにもたくさんあり。もうひとつの証拠はかの薄黒い雛鳥の死骸なりといえど、これは折井君も秘していわざる由。
それを聞かされて、予はなんとなく落ちついていられず。田島さんが原稿を書いている間に、宿をぬけ出してお冬さんの家を覗きに行く。夜はもう八時過ぎなり。店先からそっとうかがえば、お冬さんの姿はみえず、声をかけても奥に返事はなし。すこし不安になりて、となりの人に訊けば、お冬さんはたった今どこへか出て行ったという。不安はいよいよ募《つの》りてしばらく考えているうちに、ふと胸に浮かびしことあり。もしやと思いて、すぐに含満ヶ渕の方へ追って行く。
三
森君の日記にはこれから先のことを非常に詳しく書いてあるが、わたしはその通りをここに紹介するに堪《た》えないから、その眼目だけを掻いつまんで書くことにする。森君はお冬を追って行くと、果して含満ヶ渕で彼女のすがたを見つけた。彼女はここから身でも投げるらしく見えたので、森君はあわてて抱き止めた。お冬は泣いてなんにも言わないのを、無理になだめすかして訊いてみると、彼女の死のうとする子細はこうであった。
前にもいう通り、六兵衛という老人は小鳥を飼うことが大好きで、商売の傍らに種々の小鳥を飼うのを楽しみにしていた。磯貝は去年もこの町へ避暑に来て、六兵衛の店へもたびたび遊びに来るうちに、ある日小鳥の飼い方の話が出ると、六兵衛は大自慢で、自分が手掛ければどんな鳥でも育たないことはないと言った。その高慢が少し面憎《つらにく》く思われたのか、それとも別に思惑があったのか、磯貝はきっと相違ないかと念を押すと、六兵衛はきっと受合うと強情に答えた。それから五、六日経つと磯貝は一箇の薄黒い卵を持って来て、これを孵《かえ》してくれといった。見馴れない卵であるからその親鳥をきくと、それは慈悲心鳥であることが判った。
日光山の慈悲心鳥――それを今さら詳しく説明する必要もあるまい。磯貝は途方もない物好きと、富豪の強い贅沢心とからで、その慈悲心鳥を一度飼ってみたいと思い立って、中禅寺にいる者に頼んでいろいろに猟《あさ》らせたが、霊鳥といわれているこの鳥は声をきかせるばかりで形を見せたことはないので、彼は金にあかしてその巣を探させた。そうして、結局それは時鳥《ほととぎす》とおなじように、鶯《うぐいす》の巣で育つということを確かめて、高い値を払ってその卵を手に入れたが、それをどうして育ててよいか見当がつかないので、彼は六兵衛のところへ持って来て頼んだのであった。頼まれて六兵衛もさすがにおどろいた。ほかの鳥ならばなんでも引受けるが、慈悲心鳥の飼い方ばかりは彼にも判らなかった。しかも生れつきの強情と、強い自信力とがひとつになって、彼はとうとうそれを受合った。育ったらば東京へ報らしてくれ、受取りの使いをよこすからと約束して、磯貝は二百円の飼育料を六兵衛にあずけて帰った。
名山の霊鳥を捕るというのが怖ろしい、更にそれを人間の手に飼うというのは勿体ないと、妻のお鉄と娘のお冬とがしきりに意見したが、六兵衛はどうしても肯《き》かなかった。かれは深い興味をもってその飼い方をいろいろに工夫した。そうして、どうやらこうやら無事に卵を孵《かえ》したが、雛は十日ばかりで斃《たお》れてしまったので、かれの失望よりも妻の恐怖の方が大きかった。お鉄はその後一種の気病《きや》みのように床について、ことしの三月にとうとう死んだ。磯貝から受取った二百円の金は、妻の長煩《ながわず》らいにみな遣ってしまって、六兵衛の身には殆ど一文も付かなかった。しかし慈悲心鳥の斃れたことを彼は東京へ報らせてやらなかった。磯貝の方からも催促はなかった。
そのうちに今年の夏がめぐってきて、磯貝は再びこの町に来た。かれは六兵衛の不成功を責めた。あわせて今日《こんにち》までなんの通知もしなかった彼の横着をなじって、去年あずけて行った二百円の金をかえせと迫った。その申訳に困って、六兵衛は更に新しい卵を見つけて来ると約束した。かれは三日ほど仕事を休んで、山の奥をそれからそれへと探しあるいたが、霊鳥の巣は見付からなかった。よんどころなしに彼は鶯の巣から時鳥の卵を捕って来て、磯貝の手前を一時つくろっておいたが、その秘密を知っている娘はひどく心配した。さりとて二百円の金を返す目当てはとてもないので、どうなることかと案じているうちに、卵は孵った。六兵衛は、その時鳥の雛を磯貝の旅館へ持って行ってみせると、なんにも知らない彼は非常に喜んだ。六兵衛が帰ったあとで、磯貝はこれを宿の者に自慢らしく見せると、おなじ鶯の巣に育ちながらもそれは慈悲心鳥でないことが証明されたので、彼はまた怒った。八月七日の午後に、磯貝はかの雛鳥の籠をさげて六兵衛の店へ押掛けて行って
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