いうのではないが、思ったほどには鳴かなかった。麹町にいたときには、秋の初めになると機織虫《はたおりむし》などが無暗《むやみ》に飛び込んで来たものであるが、ここではその鳴く声さえも聴いたことはなかった。庭も広く、草も深いのに、秋の虫が多く聴かれないのは、わたしの心を寂しくさせた。虫が少いと共に、藪蚊も案外に少かった。わたしの家で蚊やりを焚いたのは、前後二月に過ぎなかったように記憶している。
 秋になっては、コスモスと紫苑《しおん》がわたしの庭を賑《にぎ》わした。夏の日ざかりに向日葵《ひまわり》が軒を越えるほど高く大きく咲いたのも愉快であったが、紫苑が枝や葉をひろげて高く咲き誇ったのも私をよろこばせた。紫苑といえば、いかにも秋らしい弱々しい姿をのみ描かれているが、それが十分に生長して、五株六株あるいは十株も叢をなしているときは、かの向日葵などと一様に、寧《むし》ろ男性的の雄大な趣を示すものである。薄むらさきの小さい花が一つにかたまって、青い大きい葉の蔭から雲のようにたなびき出《い》でているのを遠く眺めると、さながら松のあいだから桜を望むようにも感じられる。世間一般からはあまりに高く評価され
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