大根の種をまき、茄子《なす》や瓜の苗を植えた。ゆうがおの種も播《ま》き、へちまの棚も作った。不精者のわたしに取っては、それらの世話がなかなかの面倒であったが、いやしくも郊外に住む以上、それが当然の仕事のようにも思われて、わたしは朝晩の泥いじりを厭《いと》わなかった。六月の梅雨のころになると、花壇や畑には茎や蔓《つる》がのび、葉や枝がひろがって、庭一面に濡れていた。
夏になって、わたしを少しく失望させたのは、蛙の一向に鳴かないことであった。筋向うの家の土手下の溝で、二、三度その鳴き声を聴いたことがあったが、そのほかには殆《ほとん》ど聞こえなかった。麹町《こうじまち》辺でも震災前には随分その声を聴いたものであるが、郊外のここらでどうして鳴かないのかと、わたしは案外に思った。蛍も飛ばなかった。よそから貰った蛍を庭に放したが、その光は一と晩ぎりで皆どこかへか消え失せてしまった。さみだれの夜に、しずかに蛙を聴き、ほたるを眺めようとしていた私の期待は裏切られた。その代りは犬は多い。飼犬と野良犬がしきりに吠えている。
幾月か住んでいるうちに、買い物の不便にも馴れた。電車や鉄砲の音にも驚かなくなっ
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