ろ姿は藤沢のお安らしかった。かれは表へ突き出されて、降りしきる雨のなかに姿を消した。
四郎兵衛は腫れあがった顔を蒼くして、二階座敷へ戻って来た。
夕飯の膳が運び出されたが、彼は碌ろくに箸を執らなかった。何をきいても確かな返事をしなかった。
「子細はあとで話します。」
開帳の賑わいで、どこの宿屋も混雑している。この一行の座敷は海にむかった角《かど》にあるが、それでも一方の隣り座敷には三、四人の客が泊り合せていて、昼から騒々しく話したり笑ったりしている。それらの聞く耳を憚って、四郎兵衛は迂濶にその秘密を明かさないらしかったが、となりの人たちはしゃべり疲れて、宵から早く床に就いたので、その寝鎮まるのを待って、彼は小声で話し出した。
「今までおっかさんにも黙っていました。義助はもちろん知るまい。どうも困った事があるのです。」
「お前はあの女に係合いであったのかえ。」と、お杉は待ちかねたように訊いた。
「いえ、そういう事なら又何とかなりますが……。」
四郎兵衛の低い溜息の声を打消すように、夜の海の音はごうごうと高くきこえた。
三
前にもいう通り、小泉は暖簾のふるい菓子屋で
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