やかならぬ形勢を見せて来たが、近江屋一家には別条なく、井戸屋にもなんの障りもなく、ここに一年の月日を送って、その年の暮れにお妻は懐姙した。
 本来ならば、めでたいと祝うのが当然でありながら、それを聞いて近江屋の夫婦は一種の不安に襲われた。不吉の予感が彼等のこころを暗くした。お峰は世間の母親のように、初孫《ういまご》の顔を見るのを楽しみに安閑とその日を送ってはいられなかった。かれは日ごろ信心する神社や仏寺に参詣して、娘の無事出産を祈るのは勿論、まだ見ぬ孫の息災延命《そくさいえんめい》をひたすらに願った。
 明くれば文久二年、その九月はお妻の臨月にあたるので、お峰は神仏に日参をはじめた。由兵衛も釣り込まれて神まいりを始めた。井戸屋の主人も神仏の信心を怠らず、わざわざ下総《しもうさ》の成田山に参詣して護摩《ごま》を焚いてもらった。ありがたい守符《まもりふだ》のたぐいが神棚や仏壇に積み重ねられた。
 九月二十三日に淀橋からお妻の使が来て、おっ母さんにちょっと会いたいから直ぐにお出《い》でくださいというので、もしや産気でも付いたのかと、お峰はすぐに駕籠を飛ばせてゆくと、お妻の様子は常に変らなかった。悪阻《つわり》の軽かったかれは、ほとんど臨月の姙婦とは見えないほどにすこやかであった。その顔色も艶々《つやつや》しかった。
「どうだえ、もう生まれそうかえ。」と、お峰はまず訊いた。
「お医者も、取揚げのお婆さんも、今月の末頃だろうと言っているのですけれど、わたしはきっとあした頃だろうと思います。」と、お妻は信ずるところがあるように言った。
「だって、お医者も取揚げ婆さんもそう言うのに、おまえ一人がどうして明日と決めているの。」
「ええ、あしたです。きっとあしたの日暮れ方です。」
「あしたの日暮れ方……。」
「おっ母さんはおととしの事を忘れましたか。あしたは九月の二十四日ですよ。」
 九月二十四日――横浜見物の帰り道に、二挺の駕籠が鈴ヶ森を通りかかったのは、その日の暮れ方であった。それを言い出されて、お峰は忌《いや》な心持になった。
「けれども、おっ母さん安心していて下さい。男の児にしろ、女の児にしろ、わたしの生んだ児はわたしがきっと守ります。」と、お妻はいよいよ自信がありそうに言った。
 姙婦を相手にかれこれ言い合うのもよくないと思ったので、お峰は黙って聞いていた。しかし何だか気がかりでもあるので、婿の平蔵にそっと耳打ちすると、平蔵も不安らしくうなずいた。
「実は私にも同じことを言いました。医者も取揚げ婆さんも今月の末頃だというのに、当人はどうしても、あしたの日暮れ方だと言い張っているのは、何だかおかしいように思われますが……。」
「そうですねえ。」
 九月二十四日の一件が胸の奥にわだかまっているので、その晩はお峰も井戸屋に泊り込んで、あしたの夕方を待つことにした。明くる二十四日は朝からほがらかに晴れて、秋風が高い空を吹いていた。渡り鳥の声もきこえた。
 お妻も昼のあいだは別に変ったこともなかったが、いわゆる釣瓶落《つるべおと》しの日が暮れて、広い家内に灯をともす頃、かれは俄《にわ》かに産気づいて、安らかに男の児を生み落した。その予言が見事に適中して人々を驚かせた。
 その知らせに驚いて駈けつけて来た産婆にむかって、お妻は訊いた。
「男ですか、女ですか。」
「坊ちゃんでございますよ。」と、産婆は誇るように言った。
「そうですか。」と、お妻はほほえんだ。「早くあっちへ連れて行ってください。おっ母さんもあっちへ行って……。」
 男の児の誕生に、一家内が浮かれ立っている隙《すき》をみて、お妻はこの世に別れを告げた。いつの間に用意してあったのか知らないが、かれは聖柄《ひじりづか》の短刀で左の乳の下をふかく突き刺していた。もう一つ、人々に奇異の感を懐《いだ》かせたのは、これもいつの間にか拵えてあったと見えて、かれは新しい経帷子を膝の下に敷いていたので、その鮮血《なまち》が白い衣を真っ紅に染めていた。
 その秘密を知っている者は、母のお峰だけであった。

「その時に生れた男の児が私の伯父で、今も達者でいます。」と、吉田君は言った。「そのお妻という女――すなわち私の曽祖母《ひいばあ》さんに当る人が、子供を生むと同時に自殺したので、井戸屋の家にまつわる一種の呪いが消滅したとでもいうのでしょうか。前にもお話し申す通り、今まで決して実子の育たなかった家に、お妻の生んだ子だけは無事に生長したのです。それが嫁を貰って、男の児ふたりと女の児ひとりを儲け、これもみなつつがなく成人しました。次男がわたしの父で、親戚の吉田という家を相続することになったので、わたしも吉田の姓を継いでいるわけです。本家は井戸の姓を名乗って、その子孫もみな繁昌しています。こんにちの我れわれから観ると、単に奇怪な伝説としか思われませんが、わたしの祖父などは昔の人間ですから、井戸の家の血統が今なお連綿《れんめん》としているのは、自害したおっ母さんのお蔭だといって、その命日には欠かさずに墓参りをしています。」



底本:「鷲」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「富士」
   1934(昭和9)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくってい ます。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
2007年9月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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