夫婦も心が動いた。十九になるまで身の納まりの付かなかった娘が、そんな大家《たいけ》の嫁になることが出来れば、実に過分の仕合せであるとも思った。勿論《もちろん》、お妻にも異存はなかった。
十月はじめに、双方の見合《みあい》も型のごとく済んで、この縁談はめでたく纏《まと》まった。但しお妻は十九の厄年であるので、輿入《こしい》れは来年の春として、年内に結納の取交せをすませることになった。近江屋も相当の身代ではあるが、井戸屋とは比較にならない。井戸屋の名は下町《したまち》でも知っているものが多いので、お妻はその幸運を羨《うらや》まれた。
「どうだ。経帷子が嫁入り衣裳に化けたのだ。物事は逆さまといったのに嘘はあるまい。」と、由兵衛は誇るように笑った。
まったく逆さまである。怪しい老婆に経帷子を残されたのは、こういうめでたいことの前兆であったのかと、お峰もお妻も今更のように不思議に思ったが、いずれにしても意外の幸運に見舞われて、近江屋の一家は時ならぬ春が来たように賑わった。相手が大家であるので、お妻の嫁入り支度もひと通りでは済まない。それも万々《ばんばん》承知の上で、由兵衛夫婦は何やかやの支度に、この頃の短い冬の日を忙がしく送っていた。
十一月になって、結納の取交せも済んで、輿入れはいよいよ来年正月の二十日過ぎと決められた。その十二月の十八日である。由兵衛は例年のごとく、浅草観音の歳市《としのいち》へ出てゆくと、その留守に三之助が歳暮の礼に来た。三之助は由兵衛の弟で、代々木町の三河屋という同商売の家へ婿に行ったのである。兄は留守でも奥の座敷へ通されて、三之助はお峰にささやいた。
「姉さん。このおめでたい矢先に、こんなことを申上げるのもどうかと思いますけれど、少し変なことを聞き込みましたので……。」
「変な事とは……。」
「あの井戸屋さんのことに就いて……。」と、三之助はいよいよ声を低めた。「あの家には変な噂があるそうで……。何代前のことだか知りませんが、井戸屋に奉公している一人の小僧のゆくえが知れなくなったのです。人にでも殺されたのか、自分で死んだのか、それとも駈落《かけおち》でもしたのか、そんなことはいっさい判らないのですが、その小僧の祖母《ばあ》さんという人が井戸屋へ押掛けて来て、自分の大事の孫を返してくれという。井戸屋では知らないという。又その祖母さんが強引に毎日押掛けて来て、どうしても孫を返せという。井戸屋でもしまいには持て余して、奉公人どもに言い付けて腕ずくで表へ突き出すと、そのばあさんが井戸屋の店を睨《にら》んで、覚えていろ、ここの家はきっと二代と続かないから……。そう言って帰ったぎりで、もう二度とは来なかったそうです。」
「それはいつごろの事なの。」と、お峰は不安らしく訊いた。経帷子の老婆のすがたが目先に浮かんだからである。
「今も言う通り、何代前のことか知りませんが、よっぽど遠い昔のことで、それから六、七代も過ぎているそうです。」
「それじゃあ、二代は続かせないと言ったのは、嘘なのね。」と、お峰はやや安心したように言った。
「ところが、まったく二代は続いていないのです。井戸屋の家には子育てがない。子供が生れてもみんな死んでしまうので、いつも養子に継がせているそうです。それですから、井戸屋の家はあの通り立派に続いているけれども、代々の相続人はみな他人で、おなじ血筋が二代続いていないのです。」
「そんなら身内から養子を貰《もら》えばいいじゃありませんか。そうすれば、血筋が断える筈《はず》がないのに……。」
「それがやっぱりいけないのです。」と、三之助はさらに説明した。「身内から貰った養子は自分の実子と同じように、みんな死んでしまうので、どうしても縁のない他人に継がせる事になるのだそうです。」
「変だねえ。」
「変ですよ。」
「そのばあさんというのが祟《たた》っているのかしら。」
「まあ、そういう噂ですがね。」
こんなことを言うと、折角の縁談に水をさすようにも聞えるので、いっそ黙っていようかと思ったが、知っていながら素知らぬ顔をしているのもよくないと思い直して、ともかくもこれだけのことをお耳に入れて置くのであるから、かならず悪く思って下さるなと、三之助は言訳をして帰った。
それと入れ違いに由兵衛が帰って来たので、お峰は早速にその話をすると、由兵衛も眉をよせた。淀橋と芝と遠く離れているので、井戸屋にそんな秘密のあることを由兵衛夫婦はちっとも知らなかったのである。三之助の話を聞いただけでは、そのばあさんが一途《いちず》に井戸屋を恨むのは無理のようにも思われるが、今更そんなことを論じても仕様がない。ともかくそんな呪《のろ》いのある家に、可愛い娘をやるかやらないかが、差しあたっての緊急問題であった。
「万屋の伯父さんはそんな事を知らないのでしょうかねえ。」と、お峰は疑うように言い出した。
「といって、三之助もまさか出たらめを言いはすまい。ほかの事とは違うからな。」と、由兵衛も半信半疑であった。
万屋はお峰の伯父である。三之助は由兵衛の弟である。お峰としては伯父を信じ、由兵衛としては弟を信じたいのが自然の人情で、夫婦のあいだに食い違ったような心持がかもされたが、それで気まずくなるほどの夫婦でもなかった。まずその疑いを解くために、由兵衛は弟をたずねて再び詳しい話を聞き、お峰は伯父をたずねて真偽を確かめることにして、その翌日の早朝に夫婦は山の手へのぼった。
二人は途中で引分かれて、由兵衛は代々木の三河屋へ行った。お峰は大木戸前の万屋をたずねた。万屋の伯父はお峰の詰問を受けてひどく難渋《なんじゅう》の顔色を見せたが、結局ため息まじりでこんな事を言い出した。
「おまえ達がそれを知った以上は、もう隠しても仕方がない。実は井戸屋にはそんな噂がある。と言ったら、なぜそんな家へ媒妁をしたと恨まれるかも知れないが、それには苦しい訳がある。」
伯父は商売の手違いから、二、三年来その家運がおとろえて、同商売の井戸屋には少なからぬ借財が出来ている。現にこの歳の暮れにも井戸屋から相当の助力をして貰わなければ、無事に歳を越すことも出来ない始末である。万一この縁談が破れたなら、わたしは井戸屋に顔向けが出来ないばかりでない。ここで井戸屋に見放されたら、この年の瀬を越しかねて数代つづいた万屋の店を閉めなければならない事にもなる。そこを察して勘弁してくれと、伯父は老いの眼に涙をうかべて口説いた。
これでいっさいの事情は判断した。いやな噂が聞えているために、大家の井戸屋にも嫁に来るものがない。そこへ自分の姪の娘を縁付けて、借財の始末や商売上の便利を図ろうとするのが、万屋の伯父の本心であった。つまりは近江屋の娘を生贄《いけにえ》にして、自分の都合のよいことをたくらんだのである。それを知って、お峰は腹立たしくなった。あまりにひどい仕方であると伯父を憎んだ。しかもこの縁談を打破れば万屋の店はつぶれるというのである。伯父ばかりでなく、伯母までが言葉を添えて、涙ながらに頼むのである。
こうなると、女の心弱さに、お峰は伯父を憎んでばかりいられなくなった。結局は亭主とも相談の上ということで、かれは帰って来た。やがて由兵衛も帰って来て、三之助の話は本当であるらしいと言った。
嘘も本当もない、いっさいは伯父が白状しているのである。そこで夫婦は額をあつめて、密々の相談に時を移したが、ここで自分たちが強情を張り通して、みすみす万屋の店を潰してしまうのは、親類一門として忍びないことである。それがこの時代の人々の弱い人情であった。さらに困るのは、お妻が嫁入りのことを町内じゅうでもすでに知っているのである。それを今更破談にするのは世間のきこえがよくない。あるいはそれがいろいろの邪魔になって、さなきだに縁遠い娘を一生|瑕物《きずもの》にしてしまうおそれがないともいえない。
「もうこの上は仕方がない。そのわけをお妻によく言い聞かせて、当人の料簡《りょうけん》次第にしたらどうだ。当人が承知なら決める、いやならば断わる。それよりほかない。」と、由兵衛は言った。
お峰もそれに同意して、早速お妻を呼んで相談すると、かれは案外素直に承知した。
「横浜から帰るときに、あのお婆さんが経帷子を置いて行ったのも、所詮《しょせん》こうなる因縁でしょう。まして見合も済み、結納も済んだのですから、わたしも思い切って井戸屋へ参ります。」
三
当人がいさぎよく決心している以上、両親ももうかれこれ言う術《すべ》はなかった。むしろ我が子に励まされたような形にもなって、躊躇《ちゅうちょ》せずに縁談を進行することにした。万屋の伯父夫婦は再び涙をながして喜んだ。
待つような、待たないような年は早く明けて、正月二十二日は来た。この年は初春早々から雨が多くて、寒い日がつづいた。なんといっても、近江屋は土地の旧家であるから、同業者は勿論、町内の人々も祝いに来て、二、三日前から混雑していた。いよいよ輿入れという日の前夜に、お妻は文次郎を呼んでささやいた。
「去年あの経帷子を流したのは海辺《うみべ》のどこらあたりか、お前はおぼえているだろう。今夜そっと私を連れて行ってくれないか。」
文次郎は何だか不安を感じたので、その場はいったん承知して置きながら、お峰にそれを密告したので、かれも一種の不安を感じた。よもやとは思うものの、いよいよあしたという今夜に迫って、万一身投げでもされたら大変であると恐れた。
「おまえは海辺へ何しに行くのだえ。」と、お峰は娘をなじるように訊いた。
「唯ちょいと行ってみたいのです。決して御心配をかけるような事はありません。」
「それじゃあわたしも一緒に行くが、いいかえ。」
その日も朝から細雨《こさめ》が降っていたが、暮れ六つごろからやんだ。店口は人出入りが多いので、お峰親子は裏木戸から抜け出すと、文次郎は路地口に待合せていて、二人の先に立って行った。高輪の海岸は目の先である。
時刻はやがて五つ(午後八時)に近い頃で、雲切れのした大空には金色の星がまばらに光っていた。海辺の茶屋はとうに店を締めてしまった。この頃は世の中が物騒になって、辻斬《つじぎ》りがはやるという噂があるので、まだ宵ながらここらの海岸に人通りも少なかった。品川がよいのそそり節《ぶし》もきこえなかった。
三人は海岸に立って暗い海をながめた。文次郎も確かには憶えていないが、大方ここらであったろうと、提灯をかざして教えると、お妻はひざまずくように身をかがめて、両手をあわせた。かれは海にむかって何事をか祈っているらしかった。お峰も文次郎も目を放さずに、その行動を油断なく窺っていると、お妻は暫くのあいだ身動きもしなかった。寒い夜風が三人の鬢《びん》を吹いて通った。
闇をゆるがす海の音は、凄まじいようにどうどうと響いて、足もとの石垣にくだけて散る浪のしぶきは夜目にもほの白くみえた。その浪を見つめるように、お妻は頭をあげたかと思うと、たちまちに小声で叫んだ。
「あれ、そこに……。」
文次郎は思わず提灯をさし付けた。お峰も覗いた。灯のひかりと潮のひかりとに薄あかるい浪の上に、白いような物が漂っているのを見つけて、二人はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。それがかの経帷子であるらしく思われたからである。お峰は言い知れない恐怖を感じて、無言で文次郎の袖をひくと、彼もその正体を見届けようとして、幾たびか提灯を振り照らしたが、白い物の影はもう浮かび出さなかった。
お妻は海にむかって再び手を合せた。
その翌日、お妻はめでたく井戸屋へ送り込まれた。井戸屋の若主人は果たして養子で、その名を平蔵といった。先代の主人夫婦は、二、三年前に引きつづいて世を去ったので、新嫁《にいよめ》になんの気苦労もなかった。夫婦の仲も睦まじかった。
「これで何事もなければ、申分はないのですがねえ。」と、お峰は夫にささやいた。
由兵衛もひそかに無事を祈っていた。この年の二月に、年号は文久と改まったのである。去年の桜田事変以来、世の中はますますおだ
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