その日もまったく暮れ果てていた。
「ありがとうございました。お蔭さまで大助かりをいたしました。」
駕籠を出た老婆は繰返して礼を述べて、近江屋の一行に別れて行った。年寄りをいたわってやって、よい功徳《くどく》をしたようにお峰親子は思った。しかもそれは束《つか》の間《ま》で、老婆と入れ代って駕籠に乗ったお妻は忽《たちま》ちに叫んだ。
「あれ、忘れ物をして……。」
老婆は大事の物という風呂敷包みを置き忘れて行ったのである。文次郎も駕籠屋らもあわてて見まわしたが、かれの姿はもうそこらあたりに見いだされなかった。当てもなしにお婆さんお婆さんと呼んでみたが、どこからも返事の声は聞かれなかった。
「あれほど大事そうに言っていながら、年寄りのくせにそそっかしいな。」
口叱言《くちこごと》を言いながら、文次郎は駕籠屋の提灯を借りて、その風呂敷をあけてみた。一種の好奇心もまじって、お妻も覗いた。お峰も垂簾《たれ》をあげた。
「あっ。」
驚きと恐れと一つにしたような異様の叫び声が、人々の口を衝《つ》いて出た。風呂敷に包《つつ》まれた物というのは、白い新しい経帷子《きょうかたびら》であった。
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