江戸からわざわざ見物にゆく者がだんだんに多くなった。いつの代《よ》も流行は同じことで、横浜を知らないでは何だか恥かしいようにも思われて来たのである。
 今この駕籠に乗っている客も、やはり流行の横浜見物に行った帰り道であった。かれらは芝の田町《たまち》の近江屋という質屋の家族で、女房のお峰はことし四十歳、娘のお妻は十九歳である。近江屋は土地でも古い店で、お妻は人並に育てられ、容貌《きりょう》は人並以上であったが、この時代の娘としては縁遠い方で、ことし十九になるまで相当の縁談がなかった。家には由三郎という弟があるので、お妻はどうでも他家へ縁付かなければならない身の上であるが、今もなお親の手もとに養われていた。
 近江屋の親類でこの春から横浜に酒屋をはじめた者がある。それから横浜見物に来いとたびたび誘われるので、女房のお峰は思い切って出かけることになった。由三郎はまだ十六でもあり、殊に男のことであるから、この後に出かける機会はいくらもある。お妻は女の身で、他家へいったん縁付いてしまえば、めったに旅立ちなどは出来ないのであるから、今度の見物には姉のお妻を連れて行くことにして、ほかに文次郎という
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