せっしょう》でござります。」
「なに、殺生だ。」
「きょうはわたくしの志す仏の命日でござります。どうぞわたくしに免じて放生会《ほうじょうえ》をなにぶんお願い申します。」
 和泉屋は蔵前の札差《ふださし》で、主人の三右衛門がここへ通りあわせて、鯉の命乞いに出たという次第。桃井の屋敷は和泉屋によほどの前借がある。その主人がこうして頼むのを、弥三郎も無下《むげ》に刎ねつけるわけには行かなかった。そればかりでなく、如才《じょさい》のない三右衛門は小判一枚をそっと弥三郎の袂に入れた。一朱の鯉が忽ち一両に変ったのであるから、弥三郎は内心大よろこびで承知した。
 しかし鯉は最初の一突きで首のあたりを斬られていた。強いさかなであるから、このくらいの傷で落ちるようなこともあるまいと、三右衛門は奉公人に指図してほかへ運ばせた。
 ここまで話して来て、梶田老人は一息ついた。
「その若い奉公人というのは私だ。そのときちょうど二十歳《はたち》であったが、その鯉の大きいにはおどろいた。まったく不忍池の主かも知れないと思ったくらいだ。」

     二

 新堀|端《ばた》に龍宝寺という大きい寺がある。それが和泉屋
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