いて、先《ま》ずその周囲の整理が行われることになった。鰻の釣れる溝の石垣が先ず破壊された。つづいてかの柳の大樹が次から次へと伐り倒された。それは明治三十四年の秋である。凉しい風が薄寒い秋風に変って、ここの柳の葉もそろそろ散り始める頃、むざんの斧や鋸がこの古木に祟《たた》って、浄瑠璃に聞き慣れている「三十三間堂棟由来」の悲劇をここに演出した。立ちン坊もどこかへ巣を換えた。氷屋も甘酒屋も影をかくした。
 それから三年目の夏に日比谷公園は開かれた。その冬には半蔵門から数寄屋橋に至る市内電車が開通して、ここらの光景は一変した。その後いくたびの変遷を経て、今日は昔に三倍するの大道となった。街路樹も見ごとに植えられた。昔の凉風は今もその街路樹の梢に音づれているのであろうが、私に凉味を思い起させるのは、やはり昔の柳の風である。

     二 怪談

 御堀端の夜歩きについて、ここに一種の怪談をかく。ただし本当の怪談ではないらしい。いや、本当でないに決まっている。
 私が二十歳の九月はじめである。夜の九時ごろに銀座から麹町《こうじまち》の自宅へ帰る途中、日比谷の堀端にさしかかった。その頃は日比谷にも
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