昔の見附の跡があって、今日の公園は一面の草原であった。電車などは勿論往来していない時代であるから、このあたりに灯の影の見えるのは桜田門外の派出所だけで、他は真暗である。夜に入っては往来も少い。時々に人力車の提灯《ちょうちん》が人魂《ひとだま》のように飛んで行く位である。
しかもその時は二百十日前後の天候不穏、風まじりの細雨の飛ぶ暗い夜であるから、午後七、八時を過ぎると殆《ほとん》ど人通りがない。私は重い雨傘をかたむけて、有楽町から日比谷見附を過ぎて堀端へ来かかると、俄《にわか》にうしろから足音がきこえた。足駄の音ではなく、草履《ぞうり》か草鞋《わらじ》であるらしい。その頃は草鞋もめずらしくないので、私も別に気に留めなかったが、それがあまりに私のうしろに接近して来るので、私は何ごころなく振返ると、直《す》ぐ後ろから一人の女があるいて来る。
傘を傾けているので、女の顔は見えないが、白地に桔梗《ききょう》を染め出した中形の単衣《ひとえ》を着ているのが暗いなかにもはっきり[#「はっきり」に傍点]と見えたので、私は実にぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。右にも左にも灯のひかりのない堀端で、女
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