りでなく、この柳のかげに立寄って、この凉風に救われた人々は、毎日何十人、あるいは何百人の多きに上ったであろう。幾人の立ちン坊もここを稼ぎ場とし、氷屋も甘酒屋もここで一日の生計を立てていたのである。いかに欝蒼というべき大樹であっても、わずかに五株か六株の柳の蔭がこれほどの功徳を施していようとは、交通機関の発達した現代の東京人には思いも及ばぬことであるに相違ない。その昔の江戸時代には、他にもこういうオアシスが沢山見出されたのであろう。
 少年時代を通り過ぎて、私は銀座辺の新聞社に勤めるようになっても、やはりこの堀ばたを毎日往復した。しかも日が暮れてから帰宅するので、この柳のかげに休息して凉風に浴するの機会がなく、年ごとに繁ってゆく青い蔭をながめて、昔年の凉味を忍ぶに過ぎなかったが、我国に帝国議会というものが初めて開かれても、ここの柳は伐《き》られなかった。日清戦争が始まっても、ここの柳は伐られなかった。人は昔と違っているであろうが、氷屋や甘酒屋の店も依然として出ていた。立ちン坊も立っていた。
 その懐かしい少年時代の夢を破る時が遂に来った。彼の長州原がいよいよ日比谷公園と改名する時代が近づ
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