も、商売上の競争ばかりでなく、お常を取られた遺恨がまじっていたのだ。女を横取りされた代りに、鯨を横取りしてまず幾らかの仇討が出来たと由兵衛は内心喜んでいると、前にいう通りの大失敗。友蔵の方では仇討をしたと喜んでいるが、由兵衛の方では仇討を仕損じて返り討になった形だ。由兵衛はよくよく運が悪いと言わなければならない。
 いずれにしても、これが無事に済む筈がないのは判っている。さてこれからが本題の虎の一件だ。」

     下

 老人は話しつづける。
「それから小半年はまず何事もなかったが、その年の十月、友蔵は女房のお常をつれて、下総《しもうさ》の成田山へ参詣に出かけた。もちろん今日と違うから、日帰りなぞは出来ない。その帰り道、千葉の八幡へさしかかって例の『藪知らず』の藪の近所で茶店に休んだ。二人は茶をのみ、駄菓子なぞを食っていると、なにを見付けたのかお常は思わず『あらッ』と叫んだ。
 友蔵がなんだと訊くと、あれを見ろという。その指さす方を覗いてみると、うす暗い店の奥に一匹の猫がいる。田舎家に猫はめずらしくないが、その猫は不思議に大きく、普通の犬ぐらいに見えるので、友蔵も眼をひからせた。茶
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