の諸名優も相次いで凋落《ちょうらく》し、後輩の若い俳優らが時を得顔に跋扈《ばっこ》しているのを見ると、彼はその仲間入りをするのを快く思わなかったかも知れない。寧《むし》ろ宮戸座あたりの小芝居に立籠《たてこも》って、気楽に自分の好きな芝居を演じている方が、ましであると思っていたかも知れない。他人の眼からは不遇のように見えても、本人はそれに甘んじていたのかも知れない。
しかも女形として五十の坂を越えると、彼も前途を考えなければならなかった。彼は大正の初年から松竹興行会社の専属となって、会社の命ずるままに働いていた。彼は幾何《いくばく》の給料を貰っていたか知らないが、舞台の上では定めて役不足もあったろうと察せられて、その全盛時代を知っている私たちには、さびしく悼《いた》ましく感じられることも少くなかった。
立役と違って、女形は年を取ってはいけませんと、梅幸は述懐していたが、源之助も女形であるために晩年の不遇が更に色濃く眺められたらしい。最近五、六年は舞台に出ているというも名ばかりで、あってもなくても好いような取扱いを受けていたが、彼は黙って勤めていた。いっそ隠退したらよかろうにと思われた
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