っているので、帰り新参の源之助を容《い》るる余地もなかったのである。こうして、彼は次第に大歌舞伎から逐《お》わるるような運命に陥った。
今日、一部の劇通に讚美せらるる「女定九郎」や、「鬼神お松」や、「うわばみお由」や、「切られお富」のたぐいは、みなこれ宮戸座の舞台における源之助の置土産である。帰京以後の彼は、大歌舞伎の舞台に殆ど何らの足跡を残していない。
彼が後半生の不振に就ては、大阪落が第一の原因をなしていること前記の如くである。更に有力の原因は、その芸風が明治末期の大劇場向きでないということに帰着するらしい。要するに、彼はあまりに江戸歌舞伎式の芸風であるために、明治の初年はともあれ、明治末期または大正昭和の大劇場には不向きの俳優となって仕舞ったらしい。前に挙げた「女定九郎」や、「鬼神お松」や、「うわばみお由」のたぐいは、大歌舞伎の出し物でない。しかも彼はそれらを得意としているのであるから、自然に大歌舞伎から遠ざかるのも無理はなかった。もう一つは、なんといっても大歌舞伎の楽屋は規則正しく、万事が窮屈である。彼はその窮屈をも好まなかったらしい。
かつては自分の相手方であった団菊左
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